ノヴィツキーの時代
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「ダラス・マーベリックス」の記事における「ノヴィツキーの時代」の解説
1998-1999シーズンのNBAはロックアウトによるシーズン短縮という初めての事態を経験し、ノヴィツキーのルーキーシーズンは例年より4ヶ月近くも遅れて始まり、先発パワーフォワードに抜擢されるも、まだ線の細かったノヴィツキーはNBAのフィジカルなプレイに馴染めず、特にディフェンスでは簡単に相手に押し負けてしまい、ディフェンスができない(Dがない)と揶揄する意味で"Irk Nowitzki"と呼ばれた。19勝31敗の成績でシーズンを終えた。 1999-00シーズン、ネルソンはノヴィツキーのパス技術をより活かすためにポイントフォワードに起用し、ノヴィツキーも徐々に本来の実力を発揮するようになった。エースのマイケル・フィンリーにノヴィツキー、セドリック・セバロスに率いられ、前年の19勝31敗から40勝42敗と勝率を伸ばしたが、プレーオフには惜しくも届かなかった。 マブズがリーグ屈指の強豪へと成長を始めるのは、インターネット関連事業で財をなしたマーク・キューバンが2000年1月14日に自身が熱烈なファンであった ことから、チームを2億8500万ドルで買い取り、オーナーに就任してからだった。キューバンはその後も豊富な資金力を活かしてチームの補強に取り組んだ。 2000-2001シーズンは、過去10年間プレーオフ出場を逃してきたことを忘れさせるかのように、53勝29敗の好成績でレギュラーシーズンを乗り切り、プレーオフへ第5シードで出場し、1stラウンドは、ユタ・ジャズを3勝2敗で勝ち抜き、カンファレンス・セミファイナルへ駒を進めたが、第1シードのサンアントニオ・スパーズに1勝4敗で敗退した。しかし、このシーズンから長期に連続プレーオフ進出を果たしていく事となり、マブスのノヴィツキー時代の幕が開けたと言ってよいシーズンとなった。 2001-2002シーズンは、チーム史上最多の57勝25敗でプレーオフに進出し1stラウンドは、ミネソタ・ティンバーウルブズを難なくスイープしたものの、カンファレンス・セミファイナルの壁は依然厚く、サクラメント・キングスに1勝4敗で敗退した。 2002-2003シーズンは、それを上回る60勝に到達。ポートランド・トレイルブレイザーズ、サクラメント・キングスを破り、ついにカンファレンスファイナルへと進んだが、この後ライバル関係を続けることとなるサンアントニオ・スパーズに2勝はしたものの敗退し、NBAファイナルへの進出を阻まれ続けた。 2003-2004シーズンは、52勝30敗の第5シードでプレーオフに出場したが、1stラウンドで、対キングス1勝4敗で敗退している。このシーズンまで4年間連続でチームのアシストにおけるスタッツリーダーであったスティーブ・ナッシュがFAとなり、キューバンの考えと折り合わず、古巣のフェニックス・サンズに移籍した。 2004-2005シーズンは、44勝22敗の時点でネルソンは退任し、アシスタントコーチであったエイブリー・ジョンソンが監督に昇格した。その後16勝2敗と勝率を伸ばし、58勝24敗でレギュラーシーズンを乗り切り第4シードでプレーオフに進み、1stラウンドはヒューストン・ロケッツを4勝3敗で退けたが、カンファレンスセミファイナルで、スティーブ・ナッシュのフェニックス・サンズに2勝4敗で敗れている。 再び60勝に達した2006年には、前年のチャンピオンであるサンアントニオ・スパーズをカンファレンスセミファイナルで降し、昨年敗れたフェニックス・サンズを4勝2敗で下し、チーム史上初となるカンファレンス優勝、NBAファイナル進出を果たした。しかしドウェイン・ウェイド、シャキール・オニール時代のマイアミ・ヒートとの対戦となったファイナルを2勝4敗で落とし、初優勝はならなかった。 2006-07シーズンはチーム力をさらに上昇させ、1シーズンで3度の12連勝を達成するNBA新記録を達成。最終成績は歴代5位、チーム記録の67勝15敗を記録し、ノヴィツキーはシーズンMVPを受賞する最高のレギュラーシーズンを送った。プレーオフは第1シードのチャンピオン候補最右翼としてプレーオフに挑んだが、一回戦、かつての指揮官だったドン・ネルソン率いる第8シードのゴールデンステート・ウォリアーズ相手に史上三度目(一回戦のプレーオフフォーマットが7戦4勝制になってからは初めて)の「第1シードのチームが第8シードのチームに敗れる」2勝4敗の歴史的敗戦を喫し、シーズンを終えた。 2007-08シーズンには、シーズン途中にベテランPGのジェイソン・キッドを獲得し、悲願のファイナル制覇に向けて勝負に出たが、プレーオフでは2年連続で1回戦で敗退。プレーオフ敗退後、エイブリー・ジョンソンHCは解任された。 2008-09シーズンからは新しくリック・カーライルが監督に就任し、シーズン序盤こそ躓いたものの次第に調子を上げ、最終的には50勝32敗の成績を収め、第6シードでプレーオフに進出した。第3シードのサンアントニオ・スパーズを相手にしたプレーオフ一回戦では下馬評を覆し4勝1敗で勝ち進むが、二回戦でデンバー・ナゲッツに1勝4敗で敗退した。 2009-10シーズンは、55勝27敗の成績で、第2シードでプレーオフに進出したが、第7シードのサンアントニオ・スパーズに2勝4敗でアップセットされた。 .mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}"優勝時の主要選手" ジェイソン・キッド ジェイソン・テリー ダーク・ノヴィツキー ショーン・マリオン タイソン・チャンドラー ペジャ・ストヤコヴィッチ ホセ・バレア 2010-11シーズンは57勝25敗の好成績を収め、第3シードでプレーオフに進出した。カンファレンス・セミファイナルでは、2連覇中のロサンゼルス・レイカーズを4勝0敗で下す快挙を演じ、カンファレンス・ファイナルではオクラホマシティ・サンダーを4勝1敗で退け、ついに2度目のNBAファイナルの舞台に立った。ファイナルは5年前と同じくマイアミ・ヒートとの対戦となる。1勝2敗の不利な状況から3連勝して、逆転でのNBAファイナル初制覇を成し遂げた。ファイナルMVPには平均26.0得点、10.2リバウンドを挙げたダーク・ノヴィツキーが選ばれた。 2011-12シーズンは、ディフェンディングチャンピオンとしてのシーズンであったが、ラマー・オドム、ヴィンス・カーターなどの中途半端な補強に加え、FAに伴うタイソン・チャンドラー、カロン・バトラー、ホセ・バレアの流出、ノビツキーを筆頭にジェイソン・キッド、ショーン・マリオンら主力の衰えなどから大きく勝率を落とし、第7シードでプレーオフに進出したが、力をつけてきたオクラホマシティ・サンダーにスイープされた。ロックアウトがあり試合数が少なかったものの36勝30敗と2000年から続いていたレギュラーシーズン50勝以上の成績をこのシーズンで途切れさせてしまった (同シーズンはNBAロックアウトが敢行された関係で、66試合の短縮シーズン)。 2012-13シーズンは、キッドがニックスへ、テリーがセルティクスに移籍し、O・J・メイヨ、クリス・ケイマン、ダレン・コリソン、エルトン・ブランドらが新加入し、ロースターを大きく変えたが、ノビツキーが29試合を欠場したこともあり、41勝41敗で、勝ち越すこともできず、ついに12年連続して出場してきたプレーオフ出場を逃す結果に終わった。 2013-14シーズンは、モンタ・エリス、ホセ・カルデロン、デュワン・ブレアらを獲得し、マブス出身のデビン・ハリスが戻り、新たなケミストリーの構築まで停滞した戦いが続いたが、終盤の粘りで49勝33敗とし、なんとか第8シードでプレーオフに滑り込み、全体でトップシードのライバル、サンアントニオ・スパーズとの1stラウンド対戦となった。第3戦のヴィンス・カーターの起死回生のブザービーターなどもあり、第7戦まで粘ったが、最終ゲームで押し切られた。 2014-15シーズンは、主力であったショーン・マリオンがキャブスに移籍したが、若手成長株のチャンドラー・パーソンズを獲得し、ジャミーア・ネルソン、リチャード・ジェファーソン、レイモンド・フェルトンらベテランに加えて、チャンピオンメンバーのタイソン・チャンドラー、ホセ・バレアが戻り、上位チームへの復帰に向けてスタートした。そんな中、12月18日にボストン・セルティックスと大型トレードを行い、ブランダン・ライト、ジャミーア・ネルソンなどをセルティックスに放出し、レイジョン・ロンドを獲得。更に2015年2月18日にはアマーレ・スタウダマイアーと契約するなど、チーム力強化を図った。しかしロンドはリック・カーライルHCと試合中に激しく口論するなど、確執が表面化。更にパーソンズも左膝を負傷し、両者はプレーオフを欠場。結局戦力が整わず1回戦でヒューストン・ロケッツに1勝4敗で敗退した。 2015年7月、マーベリックスはロサンゼルス・クリッパーズからFA宣言していたディアンドレ・ジョーダンの獲得を目指し、仮合意にこぎつけたものの、契約交渉猶予期間終了後にジョーダンはクリッパーズと再契約するという事態に陥る。戦力補強に遅れを取ったマーベリックスは、ザザ・パチュリア、デロン・ウィリアムス、ウェズリー・マシューズなどを獲得し、2015-16シーズンに挑んだものの、蓋を開けて見れば勝率5割前後を往復する苦しいシーズンとなった。プレーオフ不出場も危惧されたが、2016年4月11日の同じく出場枠を争っていたユタ・ジャズ戦に勝利し、シーズン81試合目で漸くプレーオフ進出を決めたものの、1stラウンドでオクラホマシティ・サンダーに1勝4敗で一蹴された。 2016-2017シーズンはアンドリュー・ボーガット、ハリソン・バーンズ、セス・カリーなどを獲得し、体勢の立て直しを図ったものの、ノヴィツキーが負傷続きで不調に陥り開幕5連敗でスタート。以降も波に乗れず、リーグ下位に低迷するなど、苦しいシーズンとなっていた。ところが、2017年に入りカリーの先発起用が的中、更に10日間契約で加入したヨギ・フェレルの大ブレイクで、可能性が開けてきた。トレード期限日にはナーレンズ・ノエルを獲得するなど巻き返しを図るも、結局は開幕ダッシュの失敗を取り戻すまで至らず、1999-2000シーズン以来の勝率5割以下と2013年以来のプレーオフ不出場が決定した。 2017-2018シーズンは24勝58敗で2年連続でプレーオフを逃した。
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