グレッグ砦とウィットワース砦とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > グレッグ砦とウィットワース砦の意味・解説 

グレッグ砦とウィットワース砦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 15:41 UTC 版)

第三次ピーターズバーグの戦い」の記事における「グレッグ砦とウィットワース砦」の解説

ジェイムズ・H・レイン准将エドワード・L・トーマス准将旅団残存部隊は、第6軍団が突破した地点ピーターズバーグの間、北東の古いディモックラインの防御線に後退したレイン准将ウィルコックス少将は、1864年秋にボイドトン板張り道路前線沿って建設されたグレッグ砦とウィットワース砦に兵士置いた。これらはボイドトン板張り道路北西、ディモックラインの前約1,000ヤード (910 m) にあったウィットワース砦(時としてボールドウィン砦、アンダーソン砦アレクサンダー砦と呼ばれた)はグレッグ砦の北600ヤード (550 m) にあったウィットワース砦の方が大きかったが、冬の間に近く宿営し、いまは守備隊になっている南軍兵が焚き火のために木部外していたので、一部壊れていた。この2つの砦はその後方で未完成塹壕繋がれているだけだったウィルコックスが、グレッグ砦に近い南軍前線小部分再度占領するように指示した後、ナサニエル・ハリス准将ミシシッピ旅団古参400名による4個連隊到着し2つの砦を400ヤード (370 m) 越えて前進し、近づいて来る第24軍団と出逢った。ハリス旅団にはリッチモンド守備兵だったロングストリート兵士幾らかが後に密に付いており、ディモックラインのアポマトックス川から砲台45号を保持するために、レイントーマス残っている部隊補強するものとして派遣されてきた。 ナサニエル・ハリス准将旅団到着したのと同時に第24軍団が砦近く到着し軍団長ジョン・ギボンロバート・S・フォスター准将師団右翼ジョン・W・ターナー准将師団部隊を砦から800ヤード (730 m) の小さな尾根背後配置したターナー師団トマス・T・ハリス旅団ウィットワース砦の全面左手配された。 ナサニエル・ハリスは後に、浸水した土地の上部隊配置されたために、前進する前に緩り注意深く2列横隊形成したので、北軍の指揮官はハリス隊の大きさ見誤った違いないと言っていた。それでも、ロバート・S・フォスター准将師団先導旅団であるトマス・O・オズボーン大佐(名誉准将)の旅団直ち現場で隊列整えて突撃したので、教会道路沿った地域を再占領していたナサニエル・ハリスとノースカロライナ部隊は、そこそこに抵抗もせずに砦の方向後退させられた。 ロングストリート軍団チャールズ・W・フィールド少将師団から援軍到着してディモックラインに陣を占めるまでの時間を稼ぐために、ナサニエル・ハリス准将旅団トマスレイン旅団からの分遣隊と共に、グレッグ砦とウィットワース砦で踏ん張りその間に他の南軍部隊主たる工作物に戻るか到着するかした。ミシシッピ19歩兵連隊ジェイムズ・H・ダンカン中佐指揮するミシシッピ12歩兵連隊と同第16歩兵連隊兵士200名が、レイン旅団砲兵幾らか歩兵と共に合計では約350名となり、グレッグ砦を守っていた。ナサニエル・ハリスが自らウィットワース砦でミシシッピ19歩兵連隊と同第48歩兵連隊幾らか砲兵含め総勢200名を指揮していた。グレッグ砦には3インチ施条砲2門があった。第3軍団砲兵隊長リューベン・リンゼイ・ウォーカー准将が、ウィットワースにあった施条砲4門を外しておかないと、北軍取られてしまうと確信していたので、攻撃前に除去させていた。各砦の守備兵余分なライフル銃集めて弾を込め攻撃備えて壁に沿った位置余分な弾薬置いていた。 トマス・O・オズボーン大佐(名誉准将)の旅団と、ロバート・S・フォスター准将師団ジョージ・Bダンディ大佐旅団から2個連隊先導となり、北軍到着する直ぐに砦の南にある低い尾根800ヤード (730 m) の戦列作り直ち強襲掛かったハリソン・S・フェアチャイルド大佐旅団が、オズボーンダンディ旅団背後予備隊とされた。ギボン砲兵隊ロメオ・H・スタート大尉バーモント第3大隊とウィリアム・シアーズ中尉ニューヨーク第1独立大隊一部グレッグ砦の大砲を黙らせた。シアーズ隊は、ハッチャーズランから第24軍砲兵隊がまだ来ていなかったので、ピーター・S・ミチー中佐フィッシャー砦から借りてきていたものだった。 部分的に張られた壕がグレッグ砦を取り巻いていた。野原越えて激し砲火が砦に見舞われた後、攻撃兵の多くがこの壕に走り行ったが、と泥の中にはまってしまっただけだった負傷兵から助け出されなければ溺れてしまう危険性があった。オハイオ67歩兵連隊兵士最初に壕に到達したが、壕にある水のために、後方入口周り進めなくなったオハイオ62歩兵連隊はその前進中に多く兵士失い胸壁昇るためにぬかるんだ壕の中で足場探そうとして苦闘したダンディ大佐の弟であるニューヨーク100歩兵連隊指揮していたジェイムズ・H・ダンディ少佐が、砦の背後にたどり着こうとしているときに戦死したニューヨーク100歩兵連隊伍長旗手ジョン・ケインは、グレッグ砦の壁に国旗立てたことで、この攻撃中に示した勇敢さ名誉勲章授与された。 オズボーンダンディ部隊グレッグ砦の前で苦闘している間に、フォスター准将フェアチャイルド大佐部隊から2個連隊前面送ったが、彼らもぬかるんだ壕の中で倒されるけだったフォスター旅団が砦を奪えなかったので、ジョン・W・ターナー准将独立師団第2師団)のアンドリュー・ポッター中佐第1旅団ウィリアム・B・カーティス大佐第2旅団攻撃加わった。彼らは同時に砦を攻撃し、その多くが壕の中で足を止められた。14連隊兵士大多数が砦の前の壕までは到着し、そこで攻撃止まった総勢で4,000名が砦を攻撃し守備隊巻かれ砲弾含め「泥、石、さらに様々な種類飛び道具」を胸壁越しにかれらの頭上投げてきたので、砦に入るまでに30分間苦闘続けた。ナサニエル・ハリスとその南軍古参兵は後に、南軍3度4度攻撃跳ね返した後に北軍が壕に到達したと言っていたが、北軍証言では壕には最初の強襲到達しかなりの損失出したとしていた。 守備隊北軍が壁をよじ登ってくることに用意出来ており、最初の攻撃部隊胸壁に上に上がって来たときにその多くを殺すか負傷させるかした。最終的に北軍兵は砦の背後未完の短い壕を発見しており、そちらであれば砦の胸壁容易に登る機会得られたはずだった。壕に入った兵士大半移動する殺されるかだったので、壁をよじ登り、壕の周り走り回って砦の後方未完塹壕を見つけるか、入口攻撃するかだった間もなくウェストバージニア12歩兵連隊イリノイ39志願歩兵連隊連隊旗が壁の頂部到達し、さらに多くの者が後に付く動機となったグレッグ砦の後方にある柵を付けた入口を守るために配置されていたミシシッピ25名は、砦の中に入って来た大勢北軍兵に圧倒されて、多く損失を出すことになった。砦の後方から攻撃部隊が入ることのできたのと同時に北軍大部隊が胸壁頂点に達することができていた。砦の壁の上連隊旗立てられ後でウェストバージニア12歩兵連隊兵士最初に砦の中に入った部隊となった北軍攻撃部隊何度銃剣突撃行った後、単に勢力工作物制圧し厳し白兵戦起きた後に、生き残った守備兵降伏した北軍古参兵は、南軍生存兵が最後に降伏するまでに、砦の中では小さな地域流され死体死に行く者の血のプールになった報告していた。 グレッグ砦に対す強襲が終わると、ターナー師団トマス・M・ハリス准将第3旅団ウィットワース砦を攻撃した。そこは南軍のナサニエル・ハリス准将指揮していた。ウィットワース砦の守備隊グレッグ砦の戦い続いている間にその西側突出部に集まった北軍左翼後方から射撃行っていた。トマス・M・ハリス准将部隊ウィットワース砦に向けて発砲したが、グレッグ砦の戦い続いている間は、ウィットワース砦を襲おうとはしなかった。グレッグ砦が落ちた直後ウィットワース砦も陥落したグレッグ砦の戦いが終わると、ウィルコックスウィットワース砦から守備隊撤退命じたトマス・M・ハリス准将部隊遂にウィットワース砦に突撃掛け容易にその中に入った時には69名または70名の兵士降伏のために残されそれ以外には戦死者2名と負傷者2名を見つけたけだったその他に、砦の外で15名の南軍兵が捕虜になったギボングレッグ砦で南軍55名が戦死し、約300名を捕虜にしたと報告した捕虜多く負傷していた。また大砲2門と連隊旗数本捕獲したその日ギボンの側の損失は、ほとんど2つの砦のものであり、戦死122名、負傷592名、合計714名だった。 グレッグ砦の攻撃全体で、約2時間掛かった。グレッグ砦とウィットワース砦の守備隊貴重な時間稼いでいる間に、フィールド師団と他に幾つかの守備隊がディモックラインの防衛線を占めることができた。南軍援軍到着すると、ロングストリート軍団フィールド師団ゴードン軍団の2個旅団ウィルコックス将軍幾らか部隊がディモックラインの主たる南軍工作物占めていた。 グレッグ砦への攻撃始めるときに第6軍団はギボン左手進み南軍参謀であるジャイルズ・バックナー・クックの指示で、ウィリアム・T・ポーグ中佐大隊からの砲撃のみがそれを遮るものだった。この砲台はターンブル・ハウス、別名エッジヒルと呼ばれるリー指揮台隣接する陣地から操作しており、ディモックラインの前面、ロホイック・クリークの西にあったゲティ師団はポーグの砲撃からあまり保護されないままにターンブル・ハウス近く移動したゲティはそこから自隊に向けられ大砲13門に対抗して攻撃掛けることにした。ゲティ最初の攻撃大砲13門からの激し砲撃撃退された。ゲティ続いてエドワーズ大佐旅団に、敵の大砲右側面から強襲させ、ハイド大佐旅団には左と正面から攻撃するよう指示したハイド旅団がうまく敵砲台側面を衝き、砲兵無効化されなかった大砲9門の撤退繋げたフィールド師団南軍砲兵がターンブル・ハウスから逃亡したときにディモックラインを占領し一方リー将軍もターンブル・ハウスから馬で出てディモックラインの保護向かった。このとき第6軍団の歩兵リー立ち去るのを視認できるほど接近した南軍がエッジヒルから撤退した後、その夜第6軍団の5個旅団がそこを占領した第6軍団と第24軍団はその後、ディモックラインに対面する形で連続した前線形成したその夜シーモア師団パーク第9軍団支援するために派遣された後、第2軍団モット師団ウィットワース農園埋めたゲティ参謀であるハザード・スティーブンス中佐からの要請で、ハイド大佐ニュージャージー旅団ペンローズ大佐が、新しく到着した南軍部隊向かって部隊移動し、その南軍部隊攻撃しようとしていた。1発の銃弾ペンローズ大佐ベルトバックル当たってペンローズ落馬させたときに、ゲティ作戦再考することになったアポマトックス川の対岸からの砲撃対応した後、グラント将軍疲れていた第6軍団に戦闘停止して休息するよう命令したので、第6軍団はターンブル・ハウス近く幾らか防御工作完成させた後で休息した

※この「グレッグ砦とウィットワース砦」の解説は、「第三次ピーターズバーグの戦い」の解説の一部です。
「グレッグ砦とウィットワース砦」を含む「第三次ピーターズバーグの戦い」の記事については、「第三次ピーターズバーグの戦い」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「グレッグ砦とウィットワース砦」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「グレッグ砦とウィットワース砦」の関連用語

グレッグ砦とウィットワース砦のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



グレッグ砦とウィットワース砦のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの第三次ピーターズバーグの戦い (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS