オッチャホイ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/15 13:50 UTC 版)
オッチャホイとはきしめんのような平麺[2][4]を、もやしと卵、小松菜、キャベツ[3]と一緒に料理した新潟県新発田市の特有の東南アジア風麺料理[5]である。油で炒め、にんにくと唐辛子を加えた[3]「皿オッチャホイ」と、唐辛子を使わず鶏や豚のうまみの効いたスープに入った[3]「汁オッチャホイ」がある[2][6]。
注釈
出典
- ^ a b c d e 「食・ニイガタで世界の味(4) オッチャホイ(シンガポール)」『新潟日報』、1997年4月15日、13面。
- ^ a b c d e f g h i 「(Sunday Style)「オッチャホイ」料理名の謎 新発田の人気ソウルフード/新潟県」『朝日新聞 新潟県版』、2017年6月11日、31面。
- ^ a b c d 「その名も不思議「オッチャホイ」、新潟・新発田の地元飯」『日本経済新聞』、2020年2月14日。2020年2月14日閲覧。
- ^ a b 探県プロジェクト🔎新発田(しばた)市 ~ まるどりっ! - UX新潟テレビ21(1m1s〜) - YouTube
- ^ “[オピニオン 歩く]城下町の魅力を再発見 新発田に若者の息吹 敬和学園大、中心部に拠点 市民との交流進む 新大院生が染物店で制作 文化の重み引き継ぐ”. 新潟日報: p. 11. (2007年2月10日)
- ^ a b 「[ぐるメモ]皿オッチャホイ 幅広の麺 唐辛子ピリリ=新潟」『読売新聞 新潟県版』、2014年6月25日、32面。
- ^ a b 小野瀬雅生(CRAZY KEN BAND) (2012年4月26日). “新潟新発田のシンガポール食堂でオッチャホイ”. 小野瀬雅生オフィシャルブログ「世界の涯で天丼を食らうの逆襲」by Ameba. アメーバブログ. 2017年3月27日閲覧。
- ^ a b 田中貴 『ラーメン狂走曲』ワン・パブリッシング、2021年12月27日、179頁。ISBN 978-4651201726。
- ^ a b c 金子光晴 『西ひがし』中央公論社、1974年1月1日。
- ^ 西岡香織 『シンガポールの日本人社会史 -「日本小学校」の軌跡-』芙蓉書房出版、1997年4月15日、115頁。ISBN 4-8295-0184-7。"在星十八年の思い出をよみがえらせるのは椰子とドリアンの味、蒼い海、テッカンを握って歩き廻り、オチャホイを喰べたあの街角の店、"。
- ^ 元浦良一「南十字星」『会報・南十字星』第5巻、シンガポール日本小学校同窓会、1970年4月。
- ^ シンガポール日本人会・史蹟史料部 編「大正〜昭和の暮らしを語る -百瀬俊彦さん会見記-」 『戦前シンガポールの日本人社会 -写真と記録-』(初版)シンガポール日本人会、1998年6月27日、215-219頁。"ミーは担いで売にきて、屋台ではビーフン、ミー、クイティャオがあって、オチャホイという平ったい黄色か白のミーに豚肉とかモヤシの入ったあんかけ麺が人気があった。"。
- ^ シンガポール日本人会・史蹟史料部 編「『襄坊、梅森襄さん大いに語る』1998年11月6日」 『戦前シンガポールの日本人社会 -写真と記録-』(改訂版)シンガポール日本人会、2004年5月21日、217-219頁。"あの頃よく食べたのは、ミー・ゴレン、サテー、クイティャオ、ミーシャム、ロジャ、ポピア、油条(ユーチョー・クエ)、グレービーのかかったオチャホイ、香港炒飯なんか覚えてます。"。
- ^ 地主恵亮 (2013年9月27日). “オッチャホイの街でオッチャホイを食べる”. ちしきの金曜日. デイリーポータルZ. 2017年3月27日閲覧。
- ^ ジブおじさん. Rarest Singaporean Dish ONLY Found in Japan's Coldest Resion (YouTube). 該当時間: 0m50s 2023年3月12日閲覧。
- ^ “新発田市の謎の名物料理・シンガポール食堂の「オッチャホイ」って一体何なんだ?!”. 新日本DEEP案内 (2013年12月19日). 2021年5月4日閲覧。
- ^ a b さくまあきら (2004年5月25日). “5月25日(火)”. 仕事人裏日記. さくまあきらのホームページ. 2017年6月29日閲覧。
- ^ 田中貴による2017年5月30日のツイート、2019年8月2日閲覧。
- 1 オッチャホイとは
- 2 オッチャホイの概要
- 3 脚注
- オッチャホイのページへのリンク