ぬっぺっぽう
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/29 16:07 UTC 版)
「妖怪大戦争 (1968年の映画)」の記事における「ぬっぺっぽう」の解説
熊本弁を操る。
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ぬっぺっぽう
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/18 19:07 UTC 版)
餅のよう形をしている妖怪。主に墓場に出る腐肉の妖怪とも言われる。長身で顔や手足がない。鱗曰く「餅みたいで美味しそう」。
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ぬっぺっぽう
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/23 09:29 UTC 版)
子役が入って演じた。豊前守の屋敷に現れる。最後の棺桶行列では棺桶は担がず、そばを歩いた。
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ぬっぺっぽう
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 05:00 UTC 版)
関口巽は妹尾友典の紹介で元警察官の光保公平と出会い、韮山にかつて存在したという「戸人村」の調査を依頼される。光保によればかつてそこで駐在を務めていたが、戦後戻って来てみるとその村は存在そのものが抹消されていた。関口は地元の警官・淵脇と、道中で出会った流浪の物書き・堂島静軒と共に、韮山を訪れる。そこで彼らが目撃した真実、この世にはありえるはずの無い存在のものとは…。
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ぬっぺっぽう
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 05:00 UTC 版)
光保 公平(みつやす こうへい) 静岡県警に所属していた元警察官。年齢は30代後半程。現在は千住在住で、室内装飾業を営む。爆撃で右耳が難聴になっていて、傷痍軍人の支援団体にも入って活動している。会津出身で実家は魚屋。自称、怖がり。 頭髪が寂しく小太りで、眉が薄く色白でつるつると血色が善く、眼も鼻も口も小さく捕らえどころのない卵か薬缶のような顔つきをしているので、のっぺらぼうに似ているとよく周囲から言われるらしく、彼自身も執拗に拘っている。国学に凝っていた好事家の伯父の形見分けで鳥羽僧正ご真筆の『百鬼圖』や秦鼎の『一宵話』を貰った。 銭湯の壁画描きを経て22歳で警官になり、昭和12年の春から国家総動員法の施行により出征する昭和13年5月までの1年弱、戸人村の交番に住み込みで勤務していた。日華事変以来12年間も四川省成都盆地にある広漢県などを中心に中国大陸中を転々としたため、言葉も覚えて色々な祭祀儀礼や民間信仰に触れた。また、中国に居た頃、塹壕を掘っていて地中から太歳を掘り出してしまったことがあり、疫病が発生して部隊から3人死者が出たという。 昭和25年にマレー半島から帰国する。帰国後、懐かしい戸人村に行ってみると、何故か村が存在していないことになっていて、頭がおかしくなったのかと釈然としない思いを抱え、友人の赤井書房の赤井緑郎社長に相談する。 津村 辰藏(つむら たつぞう) 巡回研師。酒好きの元刀鍛冶。戸人村の住人が消えていることに気付き通報するが、その後憲兵に連行され行方不明となり、1年後、廃人同然となって戻ってきて、その1月後に自殺した。 佐伯 癸之介(さえき きのすけ) 光保が戸人村に駐在していた頃の佐伯家当主。滅多に笑わない、大層怖い人で、躾も厳しかったが、布由にだけは優しかった。 佐伯 初音(さえき はつね) 癸之介の妻。楚々とした綺麗な人で、控えめで、甲斐甲斐しく、どんな時でも決して声を荒げなかった。 佐伯 甲兵衛(さえき こうべえ) 癸之介の父。明治4年生まれ。癸之介以上に厳格だが、とてももの静かで、高齢の割に矍鑠としていて、村人からも尊敬されていた。 佐伯 亥之介(さえき いのすけ) 癸之介の息子。歳の近い光保とは仲が良かった。家に縛られることを厭い、古い因習は懲り懲りだと思っていた。妹を溺愛し、何から何まで面倒を見ていた。 当主の秘伝であるはずの白澤図の存在を知る富山の薬売りから接触を受けていた。 佐伯 布由(さえき ふゆ) 癸之介の娘。当時14、5歳。竹久夢二の美人画のように綺麗な少女だった。 佐伯 乙松(さえき おとまつ) 癸之介の弟。学問を志して大正5年に18歳で上京し東京の難しい大学を出たが、虚弱体質が祟って大成出来ず、大正12年に25歳で郷里に戻っていた。 佐伯 玄蔵(さえき げんぞう) 佐伯家の分家筋。戸人村唯一の医者(漢方医)。子供の頃に富山の薬屋で丁稚をしており、世話になった店で数年勉強してから医者として村に戻った。父親に愛想を尽かして大正の半ばに縁を切り、本家の養子になって村の娘を娶った。 佐伯 甚八(さえき じんぱち) 玄蔵の息子。本家で暮らしているが、分家で使用人の血筋でもあることから、使用人のように扱われている。差別的な扱いを受けていた訳ではないものの、一歩引いて接していた。 岩田 壬兵衛(いわたじんべえ) 玄蔵の父。本家と反りが合わず、佐伯家を勘当され蛇ヶ橋辺りの旧家に養子入りしたが、そことも揉めて飛び出し、数年放浪した後、明治の終わりに玄蔵を連れて村に戻るも、出たり入ったりを繰り返す。 淵脇(ふちわき) 静岡県警の駐在所に勤務する警官。齢は25、6歳程で階級は巡査。熊本県出身。叔父が静岡県警本部の警邏部に所属しているため、その縁故で警官になる。 存在しないはずの戸人村の調査に向かう関口と堂島に同行して、現・韮山村へ向かう。 堂島 静軒(どうじま せいけん) 郷土史家を自称する謎の男。京極堂とは対照的な「この世には不思議でないものなどない」という言葉をよく口にする。 3年前から韮山周辺の郷土史を纏めている。その調査によって、集落全員が誰かから過去を与えられて連れて来られたのだと主張する。また同じ頃に茜に接触し、下田富士では石長比売は祀られていないことを教える。 熊田 有吉(くまだ ゆうきち) かつて戸人村があったとされる場所に住んでいる老人。70年前から韮山村に住んでいると語り、嘘も吐いている様子もない。だが堂島によると、便所神の飾り方から宮城県の出身で、14、5年前に村に移ってきたばかりだと云う。
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ぬっぺっぽう
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 06:21 UTC 版)
『〜追儺の章〜』第2話に登場。念が交差する場所で時折起こる霊災害。一度は綜左衛門に倒されるが、生き残りが綜左衛門とツイナに襲い掛かるが、ツイナによって倒された。
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