四万十川流域の文化的景観 上流域の山村と棚田
名称: | 四万十川流域の文化的景観 上流域の山村と棚田 |
ふりがな: | しまんとがわりゅういきのぶんかてきけいかん じょうりゅういきのさんそんとたなだ |
種別: | 重要文化的景観 |
都道府県: | 高知県 |
市区町村: | 高岡郡檮原町 |
管理団体: | |
選定年月日: | 2009.02.12(平成21.02.12) |
選定基準: | 選複 |
追加選定年月日: | |
解説文: | 「四万十川流域の文化的景観 上流域の山村と棚田」は、四万十川流域の厳しい自然条件の下で営まれた林業と小規模な棚田の耕作によって形成された文化的景観である。檮原町は、四万十川最大の支流、檮原川(流域面積451k㎡、幹川流路68km)の源流に位置している。町域のおよそ90%が、スギ・ヒノキの人工林とともに檮原川沿いに生育するコナラ、クリなどの大規模な落葉広葉樹によって占められている。檮原町の豊かな森林は、藩政時代から檮原町の財産であり、人々は常にこれらを管理し、火入れや採草を行うとともに、樹木を伐採して薪の採取や製炭を行ってきた。特に昭和30年代には、国内の木材需要に応えるために拡大造林が行われ、檮原町は大林業地帯となった。昭和50年代には、多くの山村が構造不況に基づいて次々に林業活動を手控える中で、檮原町は常に林業に積極的な姿勢を示し、90年代以降においても、地域内連携の組織化や国際的な森林認証制度による高付加価値化を積極的に図ることによって、一貫して林業による地域づくりを進めている。檮原町は極めて平地が少なく、町内に小規模な棚田が点在する。中でも神在居の棚田(2.3ha)は勾配が厳しく、源流域の乏しい水を合理的に利用しつつ耕作を続け、棚田オーナー制度を積極的に取り入れている。 |
四万十川流域の文化的景観 上流域の農山村と流通・往来
名称: | 四万十川流域の文化的景観 上流域の農山村と流通・往来 |
ふりがな: | しまんとがわりゅういきのぶんかてきけいかん じょうりゅういきののうさんそんとりゅうつう・おうらい |
種別: | 重要文化的景観 |
都道府県: | 高知県 |
市区町村: | 高岡郡中土佐町 |
管理団体: | |
選定年月日: | 2009.02.12(平成21.02.12) |
選定基準: | 選複 |
追加選定年月日: | |
解説文: | 「四万十川流域の文化的景観 上流域の農山村と流通・往来」は、四万十川上流域の狭い土地に農地を開墾し、新田開発を行うとともに、木材の輸送を通じて形成された文化的景観である。 中土佐町は四万十川上流域に接し、中でも標高300mに所在する大野見地区においては、地区を二分して貫く四万十川本流に数々の支流が流れ込んで美しい渓谷を形成し、川の流れに沿って水田が発展するとともに、農林業の複合経営に生活の活路を求めてきた。大野見地区の97%に広がる森林は、杣や木挽きによって切り開かれ、川を利用して下流へと運ばれた。これらは中土佐でいったん陸揚げされた後、陸路を久礼まで運ばれ、久礼の港から近畿圏などに輸送された。また、大野見地区の最も大きな特徴は、四万十川本流に13ヶ所見られる堰のうち、6ヶ所が集中しているという点である。藩政期より努力して繰り返された小規模ではあるがきめの細かい開墾と新田開発は、度重なる灌漑工事の結果であり、これにともなって構築された堰が地区内に遺存している。 |
四万十川流域の文化的景観 下流域の生業と流通・往来
名称: | 四万十川流域の文化的景観 下流域の生業と流通・往来 |
ふりがな: | しまんとがわりゅういきのぶんかてきけいかん かりゅういきのなりわいとりゅうつう・おうらい |
種別: | 重要文化的景観 |
都道府県: | 高知県 |
市区町村: | 四万十市 |
管理団体: | |
選定年月日: | 2009.02.12(平成21.02.12) |
選定基準: | 選複 |
追加選定年月日: | |
解説文: | 「四万十川流域の文化的景観 下流域の生業と流通・往来」は、四万十川下流域が示す豊かな自然環境と、農林業によって形成される多様な土地利用、流通・往来の営みによって生み出された市街地によって形成される文化的景観である。 四万十市は四万十川下流域に位置し、黒尊川区域、四万十川下流区域、四万十川河口区域から構成される。四万十川第一支流である黒尊川流域は広大な森林資源を有し、一部の原生林が保護されるとともに体験型学習の場として活用されている。また四万十川下流区域は、豊富な水量と広い川幅や河原を持ち、火振漁など淡水漁業が営まれる貴重な場となっている。黒尊川と四万十川の合流部に展開する口屋内地区は、物資輸送において上流域と河口域を結ぶ中継地として栄えたところであり、材木の輸送や宿泊に使用された建造物が集落内に遺存し、当時の面影を留めている。 四万十川河口区域は、四万十川本流のうち、四万十市入田から河口までの約13.5kmとその河畔林及び下田を含む区域である。このうち、河口から約9km上流までが汽水域で、この水域の広さが豊かな生物相を育むとともに、川魚や藻類の生産を含む生業の場としての価値を高めている。河口部に位置する下田地区は、中世期から四万十川を介した積み出し港として発展し、町の成り立ちを示す街区やかつて豪商が暮らした建物の一部が残り、独特の景観を作り出している。 |
四万十川流域の文化的景観 中流域の農山村と流通・往来
名称: | 四万十川流域の文化的景観 中流域の農山村と流通・往来 |
ふりがな: | しまんとがわりゅういきのぶんかてきけいかん ちゅうりゅういきののうさんそんとりゅうつう・おうらい |
種別: | 重要文化的景観 |
都道府県: | 高知県 |
市区町村: | 高岡郡四万十町 |
管理団体: | |
選定年月日: | 2009.02.12(平成21.02.12) |
選定基準: | 選複 |
追加選定年月日: | |
解説文: | 「四万十川流域の文化的景観 中流域の農山村と流通・往来」は、四万十川中流域が示す豊かな自然環境と、農林業によって形成される多様な土地利用、流通・往来の営みによって生み出された市街地によって形成される文化的景観である。 四万十町は四万十川中流域に位置し、急峻な山に囲まれた上流域と比較して多様な土地利用の様態を示している。本地区は、その特性から大きく、大正奧四万十区域、四万十川中流区域、高南台地区域の3つに区分することができる。同じ四万十川中流域にありながら3地区は自然的・社会的条件の違いに基づく特徴を示し、それぞれが相俟って豊かな文化的景観を形成している。 大正奧四万十区域の人々は主に林業に従事し、山地を切り開いて棚田や段々畑を営んできた。四万十町は、明治から昭和にかけて近代林業の拠点として成長したため、木材の搬出を担った筏師が暮らすなど、独特の様相が見られた。特に、四万十川中流区域に所在する小野地区には、四万十川流域の林産物を一手に扱う商人達が行商し、ミツマタやワラビ粉とともに、コウゾを原料とした仙花紙と呼ばれる和紙を扱った。この和紙は、四万十川に晒して作られ、戦前まで帳簿用紙・戸籍用紙・土地台帳用紙等として大量の需要があった。 高南台地区域には大規模な田園地帯が広がるが、この区域は仁井田米に代表される県内有数の穀物地帯である。農地が生み出す富みは四国霊場第37番札所の門前町である窪川の発展を促し、商業を基盤とする都市的な営みを四万十川中流域に生み出した。 |
四万十川流域の文化的景観 源流域の山村
名称: | 四万十川流域の文化的景観 源流域の山村 |
ふりがな: | しまんとがわりゅういきのぶんかてきけいかん げんりゅういきのさんそん |
種別: | 重要文化的景観 |
都道府県: | 高知県 |
市区町村: | 高岡郡津野町 |
管理団体: | |
選定年月日: | 2009.02.12(平成21.02.12) |
選定基準: | 選複 |
追加選定年月日: | |
解説文: | 「四万十川流域の文化的景観 源流域の山村」は、四万十川の自然的条件に適応しつつ、川に面し、家屋や畑地、里山等が一帯となって発展した四万十川源流域における居住の在り方を示す文化的景観である。 津野町は四万十川の源流域にあり、不入山を含む地域である。源流には豊かな自然が残り、「四万十源流の森」として保全されている。津野町には平野部が少なく、河岸から上部まで山林が続く傾斜地に張り付くように居住地や耕作地が展開している。一部の農地では、圃場整備が実施された今も、700m級の山々を背景として広がる小さい石垣に支えられた小規模な畑を数多く認めることができる。こうした畑では、かつては、イモ、ムギ、アワ、マメなどが作られていたが、現在は茶畑が中心である。水の確保を目的として、比較的広い平地に整備されたサイフォン式水路は、現在も地域の生業を支えている。 |
重要文化的景観: | 四万十川流域の文化的景観 上流域の農山村と流通・往来 四万十川流域の文化的景観 下流域の生業と流通・往来 四万十川流域の文化的景観 中流域の農山村と流通・往来 四万十川流域の文化的景観 源流域の山村 宇治の文化的景観 小鹿田焼の里 蕨野の棚田 |
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