「MNDさいたま」の計画
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「さいたま新都心」の記事における「「MNDさいたま」の計画」の解説
さいたまタワーの選考に敗れた後、埼玉県・さいたま市・都市再生機構はシンボル高層ビルを各企業団に対して募集した。 8-1A街区の土地利用方針の基本目標を「人・物・情報が行き交う高次複合機能拠点」として、高次の業務集積(首都機能の一翼を担う業務拠点)、にぎわいの創出(回遊性のある街)、シンボル性(さいたま新都心の顔づくり)、ビジネス支援(交流・人材育成)、安心・安全・生活支援(ゆとり・くつろぎ・文化創造)の5つを重点とし、開発事業者の選定方法は提案重視型公募とした。 具体的な導入すべき都市機能としては、民間事業者が担う機能として、業務核都市にふさわしいオフィスビル・回遊性と魅力ある商業施設・民間事業者の創意工夫による眺望性やシンボル性など付加価値を高める機能、埼玉県が担う機能として、さいたまスーパーアリーナを補完をするコンベンション施設(中規模展示場・イベントホール・会議室・公共駐車場など)、さいたま市が担う機能として、新たなにぎわい創出の拠点となるとともに鉄道博物館などとの連携が図れる集客性が高い施設(さいたま市のサッカー文化を全国に情報発信し、さいたま新都心における賑わいを創出する「サッカーミュージアム」を前提として、公募における応募者の提案を踏まえ導入機能を最終決定)を、それぞれ整備することとした。 2007年(平成19年)の募集により、「MNDさいたま」(三菱地所・新日鉄都市開発・大栄不動産の3社によるグループ)、三菱商事・丸紅グループ、大和・オリックス不動産グループの三者の提案を受け、同年内に「MNDさいたま」の提案に決定し、2008年(平成20年)5月20日に契約した。開発主体として、「MNDさいたま」を構成する企業グループが出資する「さいたま新都心開発特定目的会社」が設立され、また構成企業として鹿島建設が新たに参加した。 提案された建物の概要 発表された概観図によれば、高層ビルと公共公益棟(コンベンション施設)、デッキ式の重層広場で構成されている。高層ビルは街区の北西角地に立地し、オフィスビルとしては埼玉県内最高の高さ186 m・地上38階地下1階となる。公共公益棟は高層ビルの南側に立地し、埼玉県の計画する各種施設と5階にさいたま市の「(仮称)サッカープラザ」が入る。高層ビルの東側には、重層デッキ式の公共広場があり、屋上のフットサル競技場との間に大階段が造られる。既存施設との間では、すでに8-1A街区を結ぶデッキが完成済みであり、けやきひろば、合同庁舎1号館、2号館、ホテルブリランテ武蔵野とそれぞれ結ばれる(デッキを通して新都心駅・北与野駅とそれぞれつながる)。また公共広場は東側の「月のひろば」と下層部で一体化する。 さいたま市サッカープラザ さいたま市は、8-1A街区に所有する土地(0.2 ha)を事業者と等価交換して得た公共公益棟の5階(3.1 ha)に、「サッカーのまち・さいたま」を代表する施設として「(仮称)サッカープラザ」(計画時はサッカーミュージアム)を設置する。2010年(平成22年)1月着工、2013年(平成25年)5月開業予定とされた。施設は全体を体験体感・にぎわい・展示・情報の4ゾーン8エリアに分けるとした。Jリーグを観戦できる大型ビジョンや地元メディアのサテライトスタジオとしても活用できる「スタジアムエリア」、サッカー関連書籍・映像資料を収集する「ミュージアムエリア」、実際にボールを蹴り、バーチャルでサッカープレーを体感できる「アクションエリア」、サッカーを科学的に分析探求し、また年代別の指導者育成を目指した講習を行う「ラボラトリーエリア」、Jリーグの試合を観戦しながら食事できる「レストランエリア」などで構成され、6階(屋上2.3 ha)には人工芝のフットサルコート2面とシャワー室・更衣室を整備し、イベント会場としても活用することとされた。 建設中止へ 当初、2009年(平成21年)12月の着工、2012年(平成24年)12月の竣工予定だったが、埼玉県とさいたま市は、当初は171 m・36階建ての計画だったビルについて、「県内最高層」とすることを要求したことから、高さ186 m・地上38階に積み増しされた。この計画変更により、2013年(平成25年)5月の竣工に延期された。次いで、2009年のさいたま市長交代によって市のサッカープラザ計画が不透明になり、着工が1年前後遅れることとなった。 この間に、2008年末からのリーマンショックによる不況で、不動産市況は悪化していた。企業グループが計画の見直しを求めた事から、2010年(平成22年)6月まで県・市・機構・企業グループの間で協議が行われてきたが、企業側がビルの規模を大幅に縮小することを要望したため合意に至らず、同年7月5日に計画の白紙撤回が発表された。 経過 2007年(平成19年)6月15日 - 募集要領配布開始。 9月14日 - 応募受付。 10月 - 有識者等の審査委員会による審査。 11月 - 開発事業者選定結果の公表(優先交渉者を「MNDさいたま」とする)。 12月 - 都市再生機構・埼玉県・さいたま市と「MNDさいたま」が基本協定を締結。 2008年(平成20年)2月 - 都市再生機構と「MNDさいたま」が土地譲渡契約を締結する。 5月20日 - 都市再生機構・埼玉県・さいたま市と「MNDさいたま」および「さいたま新都心開発特定目的会社」が正式に契約。 7月31日 - 県・市と「さいたま新都心開発特定目的会社」が等価交換協定をそれぞれ締結。 2009年(平成21年)3月 - 埼玉県・さいたま市議会での議決後、「さいたま新都心開発特定目的会社」と埼玉県・さいたま市で財産交換契約を締結。 5月 - さいたま市長選挙でサッカープラザ計画見直しを主張した清水勇人が当選し、計画の撤回を表明。 10月 - 埼玉県と企業グループが着工を1年から14カ月程度延期することを決定。 11月 - 企業グループが不動産市況の悪化を理由として、計画の見直しを要請。 12月25日 - 翌年7月22日まで協議期間を設けることで合意。 2010年(平成22年)6月2日 - 企業グループが、高層ビルを高さ100 m20階程度、延べ床面積も当初計画の2 - 3割に縮小し、県と市がビルの半分を賃借する条件をつけた最終見直し案を提示。 6月28日 - 県と市が最終見直し案を拒否する回答。 7月2日 - 企業グループが事業からの撤退を要望。 7月5日 - 県・市・機構が共同で計画の白紙撤回を発表。企業グループも正式に撤退を表明。 2011年(平成23年)2月 - 企業グループが県に対し和解金2億6000万円、市に対し9900万円を支払うことで双方は和解に合意し、本計画は解消した。 8月 - 「さいたま新都心開発特定目的会社」が解散。
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