ゼツェッションとは? わかりやすく解説

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分離派

読み】:ブンリハ
【英】:SECESSION
別称】:ゼツェッション ヅェツェッシォーン

ラテン語の動詞SECEDO(分離する)を語源としたヅェツェッシォーン。「分離派」と訳されている。19世紀末以降ドイツ・オーストリア各地では、既存保守的閉鎖的な芸術家協会等の機構のなかでは自由に発表活動できない発表の場与えられていない考えた進歩的な芸術家たちが、官営事業化している展覧会とは別に、彼ら自身協会展覧会組織持とうとし、相次いで新しく芸術家集団結成した。「ヅェツェッシォーン(分離派)」とは、こうして結成されグループにつけられた名称である。最初の創設は、1892年シュトゥック、トリュブナーらを指導者としたミュンヘン分離派である。1897年には、クリムト会長とするウィーン分離派が、1899年に、リーバーマン指導のもとにベルリン分離派成立したベルリン分離派は、「ブリュッケ」のメンバーを含む表現主義作家出品拒否原因で、1910年再び分裂新分離派結成され、その最盛期むかえた。分離派には特定の様式理念はないが、建築・デザイン史からは、近代運動のひとつとみなされることもある。

ゼツェシオン

(ゼツェッション から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/14 11:21 UTC 版)

ゼツェシオン(Sezession)は、「分離」を意味するドイツ語で、19世紀末、ドイツオーストリア各都市に興った絵画建築工芸の革新運動。過去の芸術様式から分離して、生活や機能と結びついた新しい造形芸術の創造をめざした。分離派。ゼツェッション。セセッション。

ウィーンでは1897年に「オーストリア造形芸術家連盟ゼツェッション」が設立され、初代会長はグスタフ・クリムト、建築からはヨゼフ・マリア・オルブリッヒオットー・ワーグナーが加わった。1920年代へと続くモダニズムの布石となった[1]

関連項目

脚注

  1. ^ 五十嵐太郎『おかしな建築の歴史』(エクスナレッジ 2013年)p.206f.


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