ヘラー:風俗画
風俗画
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風俗画(ふうぞくが、英: Genre painting, petit genre)は、庶民の普段の生活を描写し日常生活のさまざまな面を描いた作品のことである。表現は写実的なものから理想化あるいは想像されたものまで様々である。親しみ易く、感傷的な主題が多いこともありブルジョワ階級や中産階級に昔から人気のあるジャンルだった。風俗画を表すプティ・ジャンル(petit genre)の "petit" (小さな)は 歴史画などの偉大なジャンル(grand genre)の "grand"(大きな)に対して付けられたものである。
- 1 風俗画とは
- 2 風俗画の概要
風俗画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 05:16 UTC 版)
「ヨハネス・フェルメール」の記事における「風俗画」の解説
『牛乳を注ぐ女』1658年 - 1660年頃。 アムステルダム国立美術館。 『紳士とワインを飲む女』1658年頃。絵画館(ベルリン)。 『兵士と笑う女』1658年頃。フリック・コレクション〈ニューヨーク)。 『窓辺で手紙を読む女』1659年頃。アルテ・マイスター絵画館(ドレスデン)。 『音楽の稽古』1662年 - 1665年頃。ロイヤル・コレクション(バッキンガム宮殿)。 『手紙を書く女』1665年 - 1666年頃。ナショナル・ギャラリー(ワシントンD.C.)。 『真珠の耳飾りの少女』1665年頃。マウリッツハイス美術館(ハーグ)。 『地理学者』1669年頃。シュテーデル美術館(フランクフルト)。 『ヴァージナルの前に立つ女』1673年 - 1675年頃。ナショナルギャラリー(ロンドン)
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風俗画
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「オランダ黄金時代の絵画」の記事における「風俗画」の解説
風俗画に描かれているのは特定可能な有名な人物というわけではなく、肖像画としても歴史画としても分類できない一般市民の日常生活である。風景画とともに、風俗画の発展と広範な人気は当時のオランダ絵画の最大の特徴となっているが、フランドルでも同時期に風俗画の人気は高かった。フェルメールの『牛乳を注ぐ女』のように一人の人物を主題に描かれた作品も多いが、複数の階層や群集を描いた大きな作品もある。風俗画には多くの画題があり、一人の人物、農夫の家族、居酒屋、家事をする女性、村祭り、市場、兵舎、馬や家畜など多岐に渡っている。当時のオランダではそれぞれのタイプの絵画を指す呼び方はあったが、「風俗画」に相当するような全てのタイプの絵画を意味する総称は存在しなかった。18世紀後半のイングランドでは、これらの絵画の総称として「ユーモアのある絵画 (drolleries)」が使われていた。 風俗画には17世紀のあらゆる階層の大衆の日常が描かれているが、必ずしも正確な描写がなされているとは限らない。風俗そのものを描いている作品ももちろんあるが、日常生活を表現しているように思える絵画が、実はオランダの格言や教訓を絵画として描いている可能性もある。多くの画家が猥雑な家庭や売春宿を描く楽しみと教訓的絵画との両立とを試みており、居酒屋も経営していたヤン・ステーン(1626年 - 1679年)の作品が例としてあげられる。これら二つの主題のバランスについては現在でも美術史家たちの間で論議となっている。後世になって風俗画につけられた題名には「居酒屋」「宿屋」「売春宿」が区別された題名になっているが、実際には同じ目的の施設を意味していることが多く、ほとんどの居酒屋には二階に宿泊客のための小部屋があったり、裏手には売春目的の部屋があった。「前は宿屋で後ろは女郎屋」はオランダのことわざでもあった。ステーンの絵画はまさしく好例で、絵画に描かれている各構成要素は写実的に現実のものとして描かれているが、絵画全体としては現実の光景を表現したものではない。典型的な風俗画で、あくまでも絵画として表現された風刺となっている。 初期フランドル派から受け継いだ写実主義と細部の詳細な描きこみを最初に風俗画に取り込んだのは、ヒエロニムス・ボス、ピーテル・ブリューゲルらで、格言や教訓を風俗画の題材とし始めたのも同じときだった。そしてウィレム・バイテウェッヘ、フランス・ハルス、エサイアス・ファン・デ・フェルデたちが黄金時代初期の主要な風俗画家となった。バイテウェッヘは道徳的寓意をひそかに忍ばせた、着飾った若者たちを描いている。ファン・デ・フェルデは風景画家としても重要な存在だったが、その風俗画とは対照的に風景画では人物を地味に描いている。ハルスは肖像画家として有名だが、キャリア初期には風俗画も描いている。1625年ごろから、居酒屋を扱った作品を多く描いたフランドルのアドリアーン・ブラウエルがハールレムに滞在し、アドリアーン・ファン・オスターデに大きな影響を与えている。それまでは農民を題材とした絵画のほとんどが野外を舞台に描かれていたが、ブラウエルは農民たちを飾り気のない薄暗い部屋を舞台として描き、オスターデはみすぼらしい屋内の描写が画面のほとんどを占める大きな絵を描いている。 他にオランダ黄金時代の著名な風俗画家としては、女流画家のユディト・レイステル(1609年 - 1660年)、その夫ヤン・ミーンセ・モレナール(1610年 - 1668年)、ヘラルト・ドウ(1613年 - 1675年)、ハブリエル・メツー(1629年 - 1667年)、フランス・ファン・ミーリス(1635年 - 1681年 (en:Frans van Mieris the Elder))、その息子ウィレム・ファン・ミーリス(1662年 - 1747年)、ゴドフリート・スカルッケン(1643年 - 1706年)アドリアーン・ファン・デル・ウェルフ(1659年 - 1722年 らがあげられる。 黄金時代後半でも肖像画や歴史画を描く画家は非常に高く評価され、現代の観点からは精緻に過ぎるといわれることすらあるそれらの作品は高価格で取引されるようになり、ヨーロッパ中でもてはやされていた。風俗画はオランダ社会の拡大する隆盛を反映して、徐々に穏やかで富裕な階級を表現したものとなっていった。 ヘンドリック・アーフェルカンプは冬の群衆画を主に描いた 『デルフトの中庭』, ピーテル・デ・ホーホ, 1658年, ロンドン・ナショナル・ギャラリー, 描かれている女性は召使である 『ウナギと猫と少年少女』,ユディト・レイステル, 多くの寓意が描かれているといわれている 『怠ける家政婦』, ニコラース・マース, マースは家政婦や召使をめぐるトラブルをモチーフにした絵画をいくつか描いている
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