新古典主義とは? わかりやすく解説

しん‐こてんしゅぎ【新古典主義】

読み方:しんこてんしゅぎ

18世紀後半から19世紀中ごろにかけて、ギリシャ・ローマ古典様式規範として興った全欧的な美術運動。ダビッド・アングル・カノーバらが代表者古典主義

1900年前後ドイツ中心に興った文芸思潮自然主義ロマン主義反対し、古典様式への復帰主張した

第一次大戦後後期ロマン派印象主義への反動として起こった音楽上の傾向古典派音楽のもつ簡潔な形式美重んじた。ストラビンスキー・プーランクらの音楽みられる


新古典主義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/30 14:12 UTC 版)

新古典主義(しんこてんしゅぎ、英語:neoclassicism)は、18世紀中頃から19世紀初頭にかけて、西欧建築絵画彫刻など美術分野で支配的となった芸術思潮を指す。それまでの装飾的・官能的なバロックロココの流行に対する反発を背景に、より確固とした荘重な様式を求めて古典古代、とりわけギリシアの芸術が模範とされた[1]。18世紀後期にはこの様式を記述する為に用いられたのは「真の様式」であり、如何なる意味でも、偶有的であるとは看做されていなかったが[2]、その一方で、流入する文化に対する反応や異国情緒の現れのような偏執は、「ロココのあの数々の局面の一つ」[2]であったと評される。


注釈

  1. ^ ダヴィッドによるナポレオンの戴冠式を描いた作品は「新古典主義の代表的なもの」とされる[要出典]
  2. ^ アペレスは線の表現に秀でており、ゼウクシスは色彩の扱いに優れていたと言われる。
  3. ^ ここでいう「相違」は「互いに一致しないこと」を指す。

出典

  1. ^ デーヴィッド・アーウィン(鈴木杜幾子訳)『新古典主義(岩波 世界の美術)』(岩波書店、2001)
  2. ^ a b ヒュー・オナー『新古典主義』
  3. ^ Arnold Whittall, "Neo-classicism" (The New Grove Dictionary of Music and Musicians, 2nd ed., ed. by Stanley Sadie and John Tyrrell, Macmillan Publishers, 2001).
  4. ^ Delaborde, Ingres, sa vie et ses travaux, 1870.
  5. ^ アングル (ヴィヴァン 25人の画家)


「新古典主義」の続きの解説一覧

新古典主義(1768-1836)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/24 00:54 UTC 版)

ブラジル文学」の記事における「新古典主義(1768-1836)」の解説

18世紀に入ると、古典主義と自然への回帰を旨とした新古典主義がブラジルにも導入された。新古典主義期の文学者としては、クラウディオ・マヌエル・ダ・コスタ、『マリリア・デ・ディルセウ』(1792)で大衆からの人気博したトマス・アントニオ・ゴンザーガ、シルヴァ・アルヴァレンガ、『オ・ウラグアイ』(1769)でグアラニー戦争謳ったバジリオ・ダ・ガマ、『カラムルー』(1781)でインディオへのキリスト教布教正当化したサンタ・リタ・ドゥランなどの名を挙げることができる。

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新古典主義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/10 05:43 UTC 版)

ベルリン王立磁器製陶所」の記事における「新古典主義」の解説

フリードリヒの後を甥であるフリードリヒ・ヴィルヘルム2世継ぎ、この製陶所プロイセンの中で先進的技術をもつ製作所になった。新王は、所有者であるがKPM注文した磁器利益含み支払請求することになった製作所は、恒常的に財政的に上向きになった1787年から平均的な利益は、年間40,000ターラーになったフリードリヒ大王崩御後プロイセンの中で様式変わっていった。ロココ遊びある様式が、新古典主義の明確なラインに代わった。この様式において今日でも製造されている食器セットKurland(クアランド)がある。当時有名な芸術家カール・フリードリヒ・シンケル、ヨハン・ゴットフリード・シャドウとその弟子クリスチャン・ダニエル・ラオホがKPMのために花瓶フィギュアデザインしたのである。とくに有名なのは、ヨハン・ゴットフリード・シャドウ作のプリンセス一団である。19世紀前半において著名な欧州磁器製等所の中でKPMは、光景または風景画磁器リードしていた。有名なところでは、カール・ダニエル・フレダンクがいる。彼は、1832年から製作所長のジョージ・フリードリヒ・クリストフ・フリックのもと、ベルリンポツダム美し風景シリーズデザインした国王からの贈り物として彼による画装飾花瓶食器セットは、欧州宮廷へ新しベルリンイメージ形成した今でもKPMによって当時風景画芸術当時水準再製作している。

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新古典主義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 05:41 UTC 版)

彫刻」の記事における「新古典主義」の解説

詳細は「新古典主義」を参照 18世紀後半到来した新古典主義様式は、彫刻大きな重点置いたジャン=アントワーヌ・ウードンは、この様式を生みだすことに成功する一貫した肖像彫刻例示し、アントニオ・カノーヴァ裸身像がこの運動の観念的な方向性となった。新古典主義時代公共彫刻偉大な時代一つだが、その「古典期」の原型ヘレニズム彫刻ローマ時代模刻であった可能性が高い。彫刻における最も身近な代表者は、イタリアアントニオ・カノーヴァイギリスジョン・フラクスマンデンマークベルテル・トルバルセンである。ヨーロッパの新古典主義の手法はアメリカ合衆国でも定着し、そこではやや遅れて頂点達しハイラム・パワーズ彫刻がその例である。 ジャン=アントワーヌ・ウードン作『ベンジャミン・フランクリン胸像1778年メトロポリタン美術館米国所蔵 ベルテル・トルバルセン作『イアーソーンと金羊毛1803年 ジョン・フラクスマン作、バッジャー英国)にある教会慰霊碑1780年ハイラム・パワーズ作『ギリシャ奴隷1851年イェール大学美術館所蔵

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新古典主義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 14:31 UTC 版)

近代音楽」の記事における「新古典主義」の解説

フランス六人組呼ばれる作曲家およびその周辺同世代作曲家イベールルーセルなど)は、年長サティ旗印とし(ただし後に一部絶交)、美術家ピカソ詩人コクトーらとも関わりながら新古典主義の音楽活動展開した

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新古典主義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/04 04:09 UTC 版)

ジーノ・セヴェリーニ」の記事における「新古典主義」の解説

1920年以後、セヴェリーニはパリローマ行き来するようになった第一次大戦後、セヴェリーニは未来派から離れ、より伝統的なタイプ絵画志向しジョット研究を行うなど「秩序への回帰」の動きに加わることとなった。セヴェリーニは一時期分析的キュビスムの手法で制作していたが、1921年の『キュビスムから古典主義へ』の出版とともに純粋なキュビスムから離れ形而上絵画要素をもった新古典主義様式制作するようになったこの頃にはコンメディア・デッラルテ場面をもテーマとするようになる1923年にはローマ・ビエンナーレに参加、ノヴェチェント・イタリアーノ(1900年主義)の画家たちとともに1926年1929年にはミラノ1929年にはジュネーヴ作品展示した1928年からはローマ古典的な風景作品取り入れようになった1930年ヴェネツィア・ビエンナーレ1931年1935年のローマ・クワドリエンナーレにも参加した1935年のローマ・クワドリエンナーレでは絵画一等賞獲得し、セヴェリーニの作品のために1室が与えられた。フレスコモザイク作品も手がけ、スイスフランスイタリアでさまざまな技法による壁画制作した

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