東欧諸国のビザンティン建築
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/02 06:59 UTC 版)
東欧諸国のビザンティン建築(とうおうしょこくのビザンティンけんちく)では、ブルガリアやロシア、ルーマニアに伝播したビザンティン建築を便宜的にまとめる。
注釈
- ^ スラヴ人は紀元前2000年頃にカルパティア山脈の東部に定住し、多くが現在のロシアへ東進したが、5世紀から6世紀にかけて、その一部がバルカン半島に向けて南下した。
- ^ 皇帝シメオンは、870年代から880年代までコンスタンティノポリスで教育を受けており、この時期に、バシレイオス1世によって預言者エリヤの聖堂が建立された。プレスラフの聖堂は、これを模したものと考えられている[6]。
- ^ ステファン・ネマニャの子ステファン・ネマニッチは、アレクシオス3世アンゲロスの娘エウドキアを妻としていたが、これを離縁し、ヴェネツィア統領エンリコ・ダンドロの娘アンナと再婚。1217年にはローマ教皇ホノリウス3世から戴冠を受けたため、「初代戴冠王」「初冠王」と呼ばれる[11]。
- ^ ミルティン王はスコピエを制圧して、現在のマケドニア南部を軍事制圧し、皇帝の娘と縁組みすることによって、これらの地を「合法的に」獲得することになるが、彼はビザンツの宮廷文化に深く傾倒していた[14]。
- ^ それぞれ、コンスタンティノポリスのハギア・ソフィア、ハギア・エイレーネー、マンガナのハギオス・ゲオルギオス、総主教館、黄金門に対応する。
- ^ C.マンゴーは、聖ソフィア聖堂の設計者をコンスタンティノポリスの建築家と推測している[17]。
- ^ J.A.ハミルトンは、ドイツ建築か、あるいはこの地方の木造建築物からもたらされた意匠としている[22]。
- ^ J.A.ハミルトンは、これらの彫刻装飾についてグルジアとアルメニアの影響を示唆している[27]。
出典
- ^ J.M.ロバーツ『世界の歴史4ビザンツ帝国とイスラーム文明』p116-p117。
- ^ J.M.ロバーツ『世界の歴史4ビザンツ帝国とイスラーム文明』p118-p120。
- ^ J.M.ロバーツ『世界の歴史4ビザンツ帝国とイスラーム文明』p120-p130。
- ^ C.マンゴー『図説世界建築史ビザンティン建築』p187-p188。
- ^ C.マンゴー『図説世界建築史ビザンティン建築』p188
- ^ 鐸木道剛「スラヴ諸国のキリスト教受容と静寂主義」『世界美術大全集6 ビザンティン美術』p264-p265
- ^ J.A.Hamilton『Byzantine Architecture and Decoration』p223-p225。
- ^ J.A.Hamilton『Byzantine Architecture and Decoration』p225。
- ^ a b J.A.Hamilton『Byzantine Architecture and Decoration』p226。
- ^ C.マンゴー『図説世界建築史ビザンティン建築』p188-p189。
- ^ 鐸木道剛「スラヴ諸国のキリスト教受容と静寂主義」『世界美術大全集6 ビザンティン美術』p269
- ^ J.A.Hamilton『Byzantine Architecture and Decoration』p215-p216。
- ^ a b J.A.Hamilton『Byzantine Architecture and Decoration』p218-p219。
- ^ 鐸木道剛「スラヴ諸国のキリスト教受容と静寂主義」『世界美術大全集6 ビザンティン美術』p271
- ^ C.マンゴー『図説世界建築史ビザンティン建築』p194。
- ^ C.マンゴー『図説世界建築史5 ビザンティン建築』p193-p194。
- ^ C.マンゴー『図説世界建築史5 ビザンティン建築』p201-p202。
- ^ 富田知佐子「「ルーシ」の聖堂建築」『世界美術大全集6 ビザンティン美術』p306。
- ^ J.A.Hamilton『Byzantine Architecture and Decoration』p234。
- ^ C.マンゴー『図説世界建築史5 ビザンティン建築』p203。
- ^ C.マンゴー『図説世界建築史5 ビザンティン建築』p206。
- ^ J.A.Hamilton『Byzantine Architecture and Decoration』p235
- ^ 濱田靖子「「壁画とイコン」『世界美術大全集6 ビザンティン美術』p325。
- ^ C.マンゴー『図説世界建築史5 ビザンティン建築』p204-p205。
- ^ C.マンゴー『図説世界建築史5 ビザンティン建築』p205-p206
- ^ 富田知佐子「「ルーシ」の聖堂建築」『世界美術大全集6 ビザンティン美術』p308-p309。
- ^ J.A.Hamilton『Byzantine Architecture and Decoration』p237
[続きの解説]
「東欧諸国のビザンティン建築」の続きの解説一覧
- 1 東欧諸国のビザンティン建築とは
- 2 東欧諸国のビザンティン建築の概要
- 3 概説
- 4 地域と歴史
- 5 脚注
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