BC級戦犯 「再審」

BC級戦犯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/08 04:33 UTC 版)

「再審」

軍事法廷は一審制で、被告人に控訴(上告)の権利はなかった。ただし、たとえば米軍による裁判では、死刑判決が出た場合は、必ず連合国軍最高司令官(マッカーサー)の書類審査を受けることになっていた。他国でも、イギリスなどでは同様の書類審査が行われた。このように、死刑判決の後、書類審査で減刑され死刑を免れたケースも多い。これらを、便宜上再審による減刑とも呼ぶ。

裁判自体をやり直したケースはほとんど無く、加藤哲太郎が死刑判決を破棄され改めて終身刑に、さらに禁錮30年に減刑されたのがある程度である。

「釈放運動」

講和条約発効後、国内外で戦犯として収監されている者を即時に釈放すべしという国民運動が発生し、広がった。既に講和条約発効以前から個人で釈放のための署名活動を開始し、1953年には90万人を署名を集めた者もいた[32]が、大がかりなものとしては、1952年に、例えば日弁連がBC級戦犯家族を核として始めた署名活動[33]、4日で17万人分の署名を集めた広島の婦人団体によるもの[34]、全国で三千万人分を集めることを目標としたとする引揚援護愛の運動といった団体の署名活動[35]等が知られている。その後、東西陣営の冷戦対立の激化の中で連合国中西側主要国の方針変化によりA級戦犯の釈放が進む中、未だBC級戦犯の収監者が残ることに世間では不満が持たれていた[36]。海外でBC級戦犯として刑が確定、収監されていたところを日本への帰還が認められ送還された者も、釈放が認められた者でなければ、巣鴨にそのまま収監されることとなっていた。1956年3月A級戦犯の出所が完了すると、世間では不公平感やむしろ逆であるべきではないかとの意識がいっそう高まり、巣鴨も含めBC級戦犯者を全て釈放されるべきだとの声も強まっている[37]

釈放運動の一環としてのこれらの署名活動は長期にわたって様々な団体によって度々行われ、あるものは海外諸国に対し一括して、あるものはフィリピンあるいは中国(共産党政権)に対してという風に行われたため、複数回署名した者も多く、それらの署名は延べ総数で4000万人に達したとも言われる[38]。全戦犯の釈放が終了したのは1964年12月末とされる。

年表

  • 1940年11月 - ポーランドとチェコスロバキア両亡命政府の共同宣言。ドイツの残虐行為に対して激く非難する。
  • 1941年10月 - アメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルト)とイギリス首相ウィンストン・チャーチル)がそれぞれ声明を発表する。イギリスはその中で、戦争犯罪を処罰することが戦争の目的の一つだと主張した。
  • 1941年11月 - ソビエト連邦(モロトフ外相)が、ナチス・ドイツの残虐行為を非難する声明を発表する。
  • 1942年1月13日 - イギリス・セントジェームズ宮殿において、ナチス・ドイツの戦争犯罪を裁判によって処罰することを戦争目的に入れるという宣言を決議した。この宣言には、ベルギー、チェコスロバキア、ポーランドなどヨーロッパ9国が参加し、ソビエト連邦も後に同意を示した。中華民国はオブザーバーとして出席し、この宣言に同意するとともに、大日本帝国に対しても同じ原則を適用すると表明した。
  • 1943年10月 - 連合国は「連合国戦争犯罪委員会」を発足し、戦争犯罪の処罰に関して正式に議論を行う場を設けた。この委員会には、オーストラリア、ベルギー、カナダ、中華民国、チェコスロバキア、ギリシャ、インド、ルクセンブルク、オランダ、ニュージーランド、ノルウェー、ポーランド、南アフリカ、イギリス、アメリカ合衆国、ユーゴスラビア、フランスの17ヵ国が参加した。
  • 1943年11月 - アメリカ合衆国、イギリス、ソビエト連邦によるモスクワ宣言が発表される。その内容には、ナチス・ドイツによる戦争犯罪の責任者はその犯罪が行われた国で裁判を行うこと、地理的制限を有しない主要な戦争犯罪人の扱いは連合国の決定に委ねることなどが含まれている。
  • 1944年10月 - 連合国戦争犯罪委員会において次の提案がまとめられた。
    1. 従来の戦争犯罪として想定されていない組織的かつ大規模な残虐行為や、そのような戦争を行う計画、準備、開始、遂行している指導者を裁くためには、国際条約に基づく国際法廷を開く
    2. 審判されるケースが多数に及ぶことを鑑み、連合軍各方面の最高指揮官が設置する軍事法廷を開く
    この提案は、イギリスの反対とアメリカ合衆国の消極的姿勢に阻まれ実現しなかったものの、後に設置された戦犯法廷に大きな影響を与えたと言われる。
  • 1945年1月22日 - アメリカ合衆国大統領宛覚書「ナチス戦争犯罪人の裁判と処罰に関する件」が提出され、次の点が確認された。
    1. 即決裁判方式を否定、政府間協定に基づく国際法廷により主要戦犯を裁判にかけること
    2. 主要戦犯以外の戦犯は、当該国の国内裁判所で裁判にかけること
  • 1945年8月8日 - ロンドン協定ならびに国際軍事裁判所条例が調印される。国際軍事裁判所条例では戦争犯罪の類型として、a項「平和に対する罪」、b項「通常の戦争犯罪」、c項「人道に対する罪」が規定された。
  • 1945年9月11日 - 戦犯容疑者逮捕命令
  • 1946年1月19日 - 連合国軍最高司令官マッカーサーは極東国際軍事裁判所条例を制定する。
  • 1959年(昭和34年)、処刑されたBC級戦犯は靖国神社に合祀された[要出典]。戦犯として死刑に処されて刑死又は獄死した者は公式には法務死亡者と呼ばれ、靖国神社では「昭和殉難者」と呼ばれる。なお、A級戦犯1978年に合祀された。
  • 1964年12月29日 - 全戦犯釈放。

  1. ^ 対象は「枢軸諸国のために、一個人として、又は組織の一員として、次の各犯罪のいずれかを犯した者」(第六条)で、原則としては官吏や軍人、市民など地位や身分を問わない。
  2. ^ 野呂浩「パール判事研究 : A級戦犯無罪論の深層」、『東京工芸大学工学部紀要. 人文・社会編』31(2)、東京工芸大学、2008年、p43
  3. ^ 1948年戦争犯罪人に対する裁判と天皇の責任 法学館憲法研究所
  4. ^ BC級戦犯とは? 日本共産党中央委員会
  5. ^ 林(2005) 32-33頁。
  6. ^ a b 林(2005) 3頁。
  7. ^ 東京裁判研究会編『共同研究パル判決書(上)』(講談社、1984年)「第一章 パル判決の背景 東京裁判の概要」
  8. ^ (忘れられた朝鮮人戦犯:上)歴史の隙間、取り残された 朝鮮名貫いた旧日本軍中将:朝日新聞デジタルによれば、148人の内訳は軍人2人、通訳16人、警察官1人、監視員129人
  9. ^ 『朝鮮人BC級戦犯の記録』内海愛子 ii頁
  10. ^ 法務大臣官房司法法制調査部『戦争犯罪裁判概史要』
  11. ^ BC級戦犯裁判 林 博史著 岩波新書
  12. ^ 前坂 俊之 (2003年7月). 東京裁判で絞首刑にされた戦犯たち― 勝者が敗者に執行した「死刑」の手段― (PDF) (Report). 2020年10月23日閲覧
  13. ^ 巣鴨遺書編纂会編「世紀の遺書
  14. ^ 以下、裁判対象事件の出典は半藤一利 秦郁彦 保阪正康 井上亮『「BC級裁判」を読む』日本経済新聞社ほか。
  15. ^ 林(2005) 86頁。
  16. ^ 岩川(1995) 199-200頁
  17. ^ 岩川(1995) 199頁
  18. ^ 林(2005) 121-125頁
  19. ^ 岩川(1995) 237-238頁
  20. ^ 岩川(1995) 238-240頁
  21. ^ 岩川(1995) 232-234頁
  22. ^ 岩川(1995) 235-236頁
  23. ^ 岩川(1995) 220-224頁。林(2005) 126-127頁。林(1998)
  24. ^ 岩川(1995) 213-220頁
  25. ^ 林前掲岩波新書、98頁
  26. ^ 井上ほか(2010) 152頁
  27. ^ 林前掲岩波新書、97頁
  28. ^ 林前掲岩波新書、104頁
  29. ^ 林前掲岩波新書、106頁
  30. ^ 石井明 「中国の立場とソ連の立場」『[争論]東京裁判とは何だったのか』築地書館 1997、pp.93-102.
  31. ^ 林前掲岩波新書、112頁
  32. ^ 朝日新聞 朝刊. (1953年5月10日) 
  33. ^ 朝日新聞. (1952年8月11日) 
  34. ^ 朝日新聞 朝刊. (1953年8月9日) 
  35. ^ 朝日新聞. (1953年11月5日) 
  36. ^ 朝日新聞 朝刊. (1955年9月2日) 
  37. ^ “社説”. 朝日新聞 朝刊. (1956年9月26日) 
  38. ^ 中立悠紀「戦後日本における戦犯「復権」 : 戦犯釈放運動から戦犯靖国神社合祀へ」九州大学 博士論文(学術)、 17102甲第14131号、2018年、NAID 500001371063 





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