軽王子と衣通姫 軽王子と衣通姫の概要

軽王子と衣通姫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/02 08:25 UTC 版)

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軽王子と衣通姫
作者 三島由紀夫
日本
言語 日本語
ジャンル 短編小説
発表形態 雑誌掲載
初出情報
初出群像1947年4月号
刊本情報
収録岬にての物語
出版元 桜井書店
出版年月日 1947年11月20日
装幀 古沢岩美
ウィキポータル 文学
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当時の三島が敗戦後の現実社会の中で、自らの虚無感や空洞を主人公の王子と姫の陶酔的な生き方に思いを馳せ、その王子と姫の死を密かに羨望し、亡き天皇への「常住の愛」を抱きながら余生を全うした皇后に、三島自らの戦後の行く末を重ねて模索していた作品だとされている[4][5][6][2]

発表経過

1947年(昭和22年)、文芸雑誌『群像』4月号に掲載された[7][8]。末尾には執筆日が「一九四六・九・廿一/――十一、十三」と記されている[8]。同年11月20日に桜井書店より刊行の『岬にての物語』に収録された[9]。文庫版としては、1955年(昭和30年)3月30日に角川文庫より刊行の『花ざかりの森 他六篇』に収録された[8]。その後、1971年(昭和46年)1月25日に新潮文庫より刊行の『獅子・孔雀』にも収録された[2][8]。これは三島が自死前に自選集として選んでいたもので、自作解説を付けるはずであったが、その死により不可能となった[3]。翻訳版はイタリア(伊題:Il principe Karu e la principessa Sotōri)で行われている。

執筆背景

時代背景

三島由紀夫が『軽王子と衣通姫』を執筆したのは、1946年(昭和21年)の暮であるが[10]、この年の1月1日に、昭和天皇が「人間宣言」をしている[11]。後日三島は友人・三谷信に、新聞に掲載された背広姿の天皇の写真について、なぜ衣冠束帯にしなかったのかと憤慨を漏らしている[12][11]。なお、この当時の日本はGHQ占領下となっており、三島が川端康成へ出している書簡なども、開封されて検閲されている[1]

この時期の三島には、戦争末期から敗戦までのプライベートなこと(初恋の女性との別れ、妹・美津子の死)からの絶望や[13]、時代の価値転換による虚無感もあった[14][15]。三島は当時について以下のように言及している[13]

種々の事情からして、私は私の人生に見切りをつけた。その後の数年の、私の生活の荒涼たる空白感は、今思ひ出しても、ゾッとせずにはゐられない。年齢的に最も溌剌としてゐる筈の、昭和二十一年から二・三年の間といふもの、私は最も死の近くにゐた。 — 三島由紀夫「終末感からの出発―昭和二十年の自画像」[13]

執筆動機

三島は当時、『軽王子と衣通姫』のような作品を書かなければいられないという動機について、「たえまない渇きが、今私が旅してゐるところは沙漠だといふことを否応なしに教へてくれる」と表現し、それはそこが「沙漠」だと教えてくれるだけではなく、「時には、はげしい渇きが、私の行くところをどこも沙漠にかへてしまふのでした」と述べている[10]。そして三島は喩えとして、聖フランチョスコ聖キアラが食卓に会してに酔っていた時に彼らの「心を燃やした神の愛の火」が、「可見の火」になり、遠くの村人たちに火災に見えたという奇蹟伝説に触れて、それと同様、「芸術家をもやす火」が「可見の芸術作品」になったということが、今では奇蹟や伝説にすぎなくなり、一方で、「魂をもやさずに、附木に本当の火をつけてふりまはす物騒な芸術家」がいたり、「切なく魂をもやしつづけながら、もはや手でさはつて熱くなければ火ではないと思ひ込んでゐる人々に、どうして可見の魂の火を示したらよいかと思ひ悩んでゐる芸術家」がいることを「魂の火」に喩えながら、以下のようにその心境を語っている[10]

――しかし一体これからの世の中では、魂の火を可見の焔にまでもえつのらせる異常な信仰は不必要なものなのでせうか。火といへば、すぐ役に立つ・手にふれれば熱い・あの見紛ひやうのない火だけで沢山なのでせうか。――これは読者諸兄と共に深く考へてみたい問題の一つです。
ある真実な読者が、先頃、この集のなかの「軽王子と衣通姫」から、作者と世代を同じくする者の、いはば「時代の痛み」ともいふべきものを感得したと告げてくれました。この評言は、私を感謝の気持でいつぱいにしてくれました。 — 三島由紀夫「跋」[10]

作品設定

『軽王子と衣通姫』は、『古事記』や『日本書紀』で語られている「衣通姫伝説」をヒントに執筆されているが、『古事記』では、王子と姫が「同腹の兄妹」であり、『日本書紀』では、王子と姫は「叔母」になっている[1]。三島の『軽王子と衣通姫』は『日本書紀』の設定を採用しているが、その設定にするまでには、迷いがあったことが川端康成宛ての書簡で明らかになっている[1]。 

古事記では二人は同腹の兄妹になつてをり、伊予で共に死ぬに至るまで簡素で美しく、近親相姧といふ古代のテーマにはうつてつけなのでございますが、日本書紀では姫は父天皇の后の妹で、軽王子の叔母にあたり、天皇の側室になつてをり、それに対する皇后の壮大な嫉妬のテーマ、軽王子が父の恋人と通ずる経緯、ずつと近代的で、スケールも大きくなりますが、軽王子の叛乱といふ大事な筋が失はれ、更に、姫が王子の妹とすると、父天皇と姫との恋愛干係と矛盾し、どちらの記述にたよつたらよいか困惑してをります。つまり記紀どちらにも同程度の魅力があるのでございます。 — 三島由紀夫「川端康成宛ての書簡」(昭和21年8月10日付)[1]

三島が、「同腹の兄妹」の近親相姦という設定を選ばなかった理由としては、終戦直後に亡くなった実妹・美津子の死から一年ほどしか経っていなく、まだあまりにも、その死が生々しかったために、あえて避けたのではないかと小林和子は推測し[6]、妹・美津子への思いは、同時期に執筆された『盗賊』の方へ形を変えて表現されていると考察している[6]

なお、『古事記』によれば、軽王子と衣通姫が命を絶つ前に交わした歌は以下のようなものであったという[16]

  • 天飛ぶ鳥も使ぞ鶴が音の聞えむ時は吾が名問はさね
  • 天草のあひねの浜の蠣貝に足踏ますなあかしてとほれ



注釈

  1. ^ 1954年(昭和29年)、雑誌『現代』8月号に掲載されたもの。

出典

  1. ^ a b c d e 川端康成宛ての書簡」(昭和21年8月10日付)。川端書簡 2000, pp. 46-48、38巻 2004, pp. 255-257に所収
  2. ^ a b c d 高橋重美「軽王子と衣通姫」(事典 2000, pp. 75-77)
  3. ^ a b 高橋睦郎「解説」(殉教・文庫 1982, pp. 329-334)
  4. ^ a b c d e f g h i j k 「II 遍歴時代の作品から――『仮面の告白』以前 3『岬にての物語』、『軽王子と衣通姫』と禁じられたもの」(田坂 1977, pp. 127-144)
  5. ^ a b c 小埜裕二「『軽王子と衣通姫』論―神人分離と戦後」(イミタチオ、1991年6月)。事典 2000, p. 77、小林 2001, p. 53
  6. ^ a b c d 小林 2001
  7. ^ 井上隆史「作品目録――昭和22年」(42巻 2005, pp. 388-389)
  8. ^ a b c d 田中美代子「解題――軽王子と衣通姫」(16巻 2002, pp. 755-756)
  9. ^ 山中剛史「著書目録――目次」(42巻 2005, pp. 540-561)
  10. ^ a b c d e 「跋」(『岬にての物語』桜井書店、1947年11月)。26巻 2003, pp. 628-630に所収
  11. ^ a b 「年譜――昭和21年1月1日」(42巻 2005, p. 112)
  12. ^ 「第二部 平岡公威君の思い出」(三谷 1999, pp. 135-188)
  13. ^ a b c 「終末感からの出発――昭和二十年の自画像」(新潮 1955年8月号)。28巻 2003, pp. 516-518に所収
  14. ^ 私の遍歴時代」(東京新聞夕刊 1963年1月10日-5月23日号)。『私の遍歴時代』(講談社、1964年4月)、遍歴 1995, pp. 90-151、32巻 2003, pp. 271-323に所収
  15. ^ 「焦土の異端児」(アルバム 1983, pp. 22-64)
  16. ^ 縄田一男「作品解題」(縄田 1992
  17. ^ a b c 「戦後派ならぬ戦後派三島由紀夫」(本多・中 2005, pp. 97-141)
  18. ^ 「日米合作の親善オペラ――悲恋物語“軽王子と衣通姫”」(読売新聞 1949年12月9日号)。補巻 2005, pp. 140-141に所収
  19. ^ 埴谷雄高宛ての書簡」(昭和24年10月)。補巻 2005, pp. 230-231に所収
  20. ^ a b 井上隆史「解題――日米合作の親善オペラ――悲恋物語“軽王子と衣通姫”」(補巻 2005, p. 649)


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