八敬法
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脚注
参考文献
- 書籍
- 植木雅俊『差別の超克――原始仏教と法華経の人間観』講談社〈講談社学術文庫〉、2018年(原著2004年)。
- 平川彰『平川彰著作集』 第13巻 比丘尼律の研究、春秋社、1998年。ISBN 4-393-11163-X。
- 論文など
- ダシュ・ショバ・ラニ「仏典における女性差別の解釈をめぐって—女人出家の問題から-」『印度學佛教學研究』第55巻2号、日本印度学仏教学会、2007年、doi:10.4259/ibk.55.1019。
- 涂美珠「八敬法における性差別の有無」『宗学研究』38号、曹洞宗総合研究センター、1996年。
- 森章司、本澤綱夫「Mahāpajāpatī Gotamī の生涯と比丘尼サンガの形成」『中央学術研究所紀要』モノグラフ篇No.10、中央学術研究所、2005年。
- 世灯(金仁淑)「八敬法の歴史性に関する考察」『駒沢大学仏教学部論集』24号、駒沢大学、1993年。
- 丹羽宣子「仏教と女性をめぐる現代的課題」『宗教研究』85巻4号、日本宗教学会、2012年。
- 辞典など
- “コトバンク”. 朝日新聞社, VOYAGE MARKETING.
関連項目
注釈
- ^ 修行によって得られる悟りの4段階。預流果・一来果・不還果・阿羅漢果[6]。
- ^ マハーパジャーパティーを除く女性たちの出家の件は、文献によって微妙に異なる。森章司と本澤綱夫によれば、マハーパジャーパティーと共に八敬法で出家したとする史料、比丘によって具足戒を授けられ出家したとする史料、マハーパジャーパティーが和尚となって受戒したとする史料、まったく記されていない史料の4つに分けられる[8]。
- ^ しきしゃまな。比丘尼になる前の雛僧[9]。
- ^ ほうろう。出家してからの年数。教団内の序列はこれによって決まる[18]。
- ^ 平川によれば、全ての律蔵(『パーリ律』『四分律』『五分律』『根本説一切有部毘奈耶雑事』『十誦律』『摩訶僧祇律』)に八敬法が記されている[1]。
- ^ 布薩とは律の条文に照らして自身の清浄を確認し、また承認を得る集会のこと。月に2回行われる[23]。
出典
- ^ a b c d e 平川彰 1998, p. 55-58.
- ^ 石田瑞麿 1997, p. 878.
- ^ a b 平川彰 1998, p. 72-74.
- ^ a b c d 涂美珠 1996, p. 324-323.
- ^ 世灯(金仁淑) 1993, p. 72-74.
- ^ コトバンク: 四果.
- ^ 平川彰 1998, p. 392.
- ^ a b 森章司 & 本澤綱夫 2005, p. 45-59.
- ^ コトバンク: 式叉摩那.
- ^ ダシュ・ショバ・ラニ 2007, p. 1023-1022.
- ^ 植木 2018, pp. 73, 175.
- ^ a b 植木 2018, p. 179.
- ^ 植木 2018, pp. 69, 105–110.
- ^ 植木 2018, pp. 73–74.
- ^ 植木 2018, p. 111.
- ^ 植木 2018, p. 114.
- ^ 植木 2018, p. 100.
- ^ コトバンク: 法臘.
- ^ 丹羽宣子 2012, p. 503-504.
- ^ 平川彰 1998, p. 58-59.
- ^ 平川彰 1998, p. 59-61.
- ^ 平川彰 1998, p. 61-62.
- ^ 新纂浄土宗大辞典: 布薩.
- ^ a b 平川彰 1998, p. 62-64.
- ^ コトバンク: 自恣.
- ^ 平川彰 1998, p. 64-65.
- ^ 平川彰 1998, p. 65-66.
- ^ 平川彰 1998, p. 66-68.
- ^ 平川彰 1998, p. 68-69.
- ^ 平川彰 1998, p. 70-72.
- ^ 平川彰 1998, p. 81-82.
- ^ 平川彰 1998, p. 82-83.
- ^ 平川彰 1998, p. 83-85.
- ^ 平川彰 1998, p. 87-89.
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