上田稔 来歴・人物

上田稔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/20 04:52 UTC 版)

来歴・人物

1938年(昭和13年)京都帝国大学工学部土木工学科卒業[2]1938年内務省に入省。1939年(昭和14年)陸軍に召集され日中戦争に出征し、華北方面を転戦して1944年(昭和19年)に復員[2]大阪府土木部で道路と河川関係の業務に従事した[2]

戦後は建設省で、河川局治水課長補佐、近畿地方建設局河川部長、水資源開発公団関西支社長、九州地方建設局長、近畿地方建設局長などを歴任[2]。1964年(昭和39年)河川局長に就任し1968年(昭和43年)に退官[2]。同年7月の参院選全国区から自民党公認で出馬し初当選。1974年の参院選では3年議員として当選し1977年の参院選には不出馬だったが、1978年の参院京都府選挙区補選で国政復帰して通算当選4回。

議員在職中には北海道開発政務次官、参院地方行政委員長などを務め、1983年第2次中曽根内閣環境庁長官として初入閣を果たした。また、日本技術士会第12代会長(1987年5月から1993年6月)も務めていた。

1986年第14回参議院議員通常選挙に出馬せず、政界を引退。引退後は自由民主党京都府支部連合会顧問を務めた。

2011年9月17日、肺炎のため京都府長岡京市の自宅で死去。97歳没[1]。同日付で、従三位に叙された[3][4]

脚注

参考文献

  • 「日本技術士会創立50周年記念誌」(2001年6月、日本技術士会創立50周年記念誌編集小委員会、p.5, p.26)
  • 高橋裕、藤井肇男共著『近代日本土木人物事典: 国土を築いた人々』鹿島出版会、2013年。

外部リンク

公職
先代
梶木又三
環境庁長官
第15代:1983年 - 1984年
次代
石本茂
議会
先代
原文兵衛
参議院地方行政委員長
1976年 - 1977年
次代
高橋邦雄
先代
安西愛子
参議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長 次代
山口淑子

  1. ^ a b 時事ドットコム:上田稔氏死去(元環境庁長官)
  2. ^ a b c d e 『近代日本土木人物事典』pp.100-101
  3. ^ 正七位から進階。
  4. ^ 2011年(平成23年)10月25日付『官報』本紙。


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