Tシリーズと最盛期~終焉へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/19 17:24 UTC 版)
「トクサン号」の記事における「Tシリーズと最盛期~終焉へ」の解説
トクサン号は勢いに乗り、1954年に2灯ヘッドライトとダミーグリルを持つTB型にモデルチェンジする。トヨタ製5t積みトラックの中古シャーシ流用による3輪型シャーシの改造製作というパターンが定着し、高知自工ではベースとなるトヨタトラックの中古シャーシ調達に奔走した。トヨタBM(1947-50)、BX(1951-53)、FA(1956-)などが主たる改造元となった。 エンジンも土佐号以来のやり方で、中古品をオーバーホールして搭載、プロペラシャフトの長さを調整して帳尻を合わせるのが常套手段であった。トヨタが戦前のシボレーエンジンをコピー、規格をインチからメトリックに変更して戦時中から戦後も長くトラック用に生産したB型(水冷直列6気筒OHV・3386cc)が主に搭載され、中古エンジンの仕入れが間に合わなかった際にはトヨタ製の新品を購入したこともあったという。他にこれと同等クラスの日産180型系列、さらにはいすゞDA型ディーゼルエンジンや三菱のジープ用4気筒など、エンジン供給事情に合わせてさまざまな中古エンジンが調達された。ステアリングはトヨタ用、ダッシュボードの計器類はトヨタ用といすゞ用が混用されたという。 Tシリーズは細かいマイナーチェンジが幾度かおこなわれ、詳細ははっきりしない点も多いが、1956年のTF型ではヘッドライト回りのラインがそのままドアにまでつながる流麗なキャラクターラインが備わり、以後は末期まで踏襲された。ダンプカーバージョンの「TN型」も1957年に開発、ダンプ荷台構造の強度計算は専門メーカーの新明和工業に委託したが、高知自工自社での横転試験で横転限界が低い(元々三輪自動車の横転限界は低いが、トクサン号は大型なだけ更に不利である)ことから、設計を担当した山崎寅一はリヤトレッド拡大改造やバッテリー搭載位置の低下改造など苦労を重ね、ようやく目標の限界値をクリアしたという。 折しも戦後は、小型自動車の排気量制限が従前よりゆとりのある1500ccに拡大されたこと、またオート三輪については、通常の四輪車と異なり、1951年から1955年まで車体幅や車体長について一時制約が外されていたことから、競争激化の過程でユーザーの要求に応えた巨大化・長大化が進み、ついに巨大化の極致となった1954年時点では幅1.9m級、全長6m弱、荷台13尺(約3.9m。戦後もしばらくの間、一般社会には尺貫法が根付いていたことから、トラックの荷台長は顧客向けの案内では尺単位で表現されることが多かった)という、サイズだけなら上位クラスの4輪トラックを上回るような、1.5t~2t積みのオート三輪まで出現した。これらはサイズだけならトクサン号とほとんど遜色ない。 だが大手メーカー製の大型ボディ付オート三輪は、たとえ荷台が大きくともエンジンは小型車枠に縛られて小さかった(1959年まで1500cc、以後2000cc以下)。当時のユーザーはとにかく動きさえすれば過積載を躊躇しなかったが、山地の急勾配での酷使では、性能面で厳しいものがあった。これに対し、元々大排気量・大トルクのエンジンを搭載しており、後輪もダブルタイヤで2.5トン~4トン積みと積載力の高いトクサン号は、山地での林業輸送に好適だった。小型オート三輪メーカーの2トン積み車でも4トン、5トン過積載していた時代、トクサン号は10トンの過積載でも平然と動く「本物のお化け三輪」であった。 1957年以降、小型オート三輪が4輪トラックの急速な普及で退潮期に入ってからも、地元高知の林業関係者からの高い需要に支えられてトクサン号は継続して売れた。高知県自動車工業は1960-61年頃には従業員68名を擁するに至った。 山本直之社長は、1966年には高知市郊外の朝倉に新工場を建て、高知自工の社名を「トクサン自動車工業株式会社」と改称した。この時期になっても林業向けのトクサン号需要は続いており、山本もその需要に確信を持っていた模様である。 だが後年は山間部まで道路整備が進んだことや、日本国内の林業そのものが輸入材に押される形で衰退したことから、このような特殊車両が必要とされるケースも減っていった。1970年頃には需要が急速に減退し、トクサン自動車は自動車や重機の整備に営業の重点を移すようになった。最後のトクサン号が製造されたのは1975年で、これは戦後の大手オート三輪メーカーであったダイハツ工業(1972年)、東洋工業(マツダ)(1974年)の小型車枠オート三輪生産終了よりも遅かった。 1992年のインタビューで、山本は1948年の土佐号1号車から1975年のトクサン号最終車までの累計生産台数について、1,000台程度と語っている。ただし、その中には一度販売したものを下取りし、再生して再度販売したものがダブルカウントされているとも語っており、正確な生産台数は不明である。
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