【B-1】(びーわん)
Rockwell B-1 "Lancer(ランサー)"
米空軍の戦略爆撃機。
B-ONEをもじって「ボーン」といった愛称でも呼ばれる。
初期型のB-1AはB-52に代替する戦略爆撃機として開発され、1974年に初飛行したが、4機の試作機が生産されたのみで、1977年に開発コストの高騰とカーター政権下の軍縮によってその後の調達はキャンセルされた。
しかし、「強いアメリカ」を標榜するレーガン大統領の就任によって1981年に開発が再開。
高速・低空飛行で目標に接近して爆撃を行うというコンセプトへと再設計され、曲線を多用した優美なラインをもつ機体に生まれ変わり、量産型のB-1Bが1984年に初飛行した。
F-14のような可変後退翼やSTOL性能を持ち、爆撃機にしては高い機動性を持ち、音速を超えることができる。また、電波吸収塗料で塗装されているため、初期のB-1Aに比べ格段に高いステルス性能も併せ持っている。
レーダーなどの電子装備も充実しており、FLIRやECMシステムなどを装備している。
エンジンはB-1A用に開発されたGE F101-GE-102 ターボファンエンジン4基を主翼付け根付近に2対1組で搭載している。
当初、240機の調達が計画されていたが、後継となるB-2が開発されていたことも影響し、100機が米空軍に納入されて生産は終了した。
なお、冷戦の終結により多くの機が退役し、同機の役割は終わったかのように見えたが、9.11事件以後、「テロとの戦い」を打ち出したブッシュ政権により、モスボール化されていた多くのB-1Bが現役に復帰した。
スペックデータ
全長:44.81m
全幅:41.67m(最大展開時)/23.84m(最後退時)
全高:10.36m
翼面積:181.16m²
全備重量:216,365kg
空虚重量:86,000kg
エンジン:GE F101-GE-102 ターボファンエンジン 4基(推力13,962kg)
最大離陸重量:217,000kg
実用上昇限度:15240m+
爆弾搭載量:34,020kg(機内)/26,760kg(機外)
最高速度:マッハ1.25
航続距離:11,978 km
搭載量:爆弾など最大34,019 kg
武装:胴体内兵器倉に
Mk.82AIR膨張遅延性無誘導爆弾×84発
Mk.82円錐 無誘導爆弾×84発
Mk.62無誘導爆弾×84発
Mk.65無誘導爆弾×8発
CBU-87/89/97クラスター爆弾ユニット(CBU)×30発
CBU-103/104/105 風力安定クラスター爆弾×30発
GBU-31/38 JDAM×24発(GBU-38は17発)
Mk.84汎用爆弾×24発
GBU-39 SDB 小型誘導爆弾×96発(6弾頭パックの場合。4弾頭パックでは144発。)
B61 自由落下核爆弾×16発
AGM-158 JASSM 空中発射型巡航ミサイル×24発
AGM-154 JSOW 空対地ミサイル×12発 を搭載可能。
B+1
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/01 15:51 UTC 版)
『B+1』(ビー・プラスワン)は、久石譲のコンピレーション・アルバム。1992年10月21日にNECアベニュー / IXIAから発売された[1]。サブタイトルは『Original Movie's Sound Track Themes』(オリジナル・ムービーズ・サウンドトラック・テーマ)。
- ^ “「B+1」久石譲・映画音楽集|久石譲”. ORICON STYLE. 株式会社oricon ME. 2021年4月22日閲覧。
- ^ a b c d “久石譲 / B+1”. CDジャーナル. 2021年4月22日閲覧。
- ^ “熱海殺人事件”. allcinema. 2021年4月22日閲覧。
- ^ “終戦記念スペシャル NASA 未来から落ちてきた男”. テレビドラマデータベース. 2021年4月22日閲覧。
- ^ “カンバック”. 松竹. 2021年4月22日閲覧。
- ^ a b “極道渡世の素敵な面々”. 東映ビデオ. 2021年4月22日閲覧。
- ^ a b “福沢諭吉”. 東映ビデオ. 2021年4月22日閲覧。
- ^ a b “春の鐘”. allcinema. 2021年4月22日閲覧。
- ^ “ペエスケ・ガタピシ物語”. 松竹. 2021年4月22日閲覧。
- ^ “第2作 釣りバカ日誌2”. 松竹映画『釣りバカ日誌』公式サイト. 松竹. 2021年4月22日閲覧。
B-1
B.1
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 07:45 UTC 版)
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B-1
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/26 01:43 UTC 版)
B-1 ランサー戦略爆撃機用のシステムではIMPLCを2台とデコイ4台が収まるデコイ格納部を2基搭載すれば、1機のB-1で最大8台のデコイを運用できる。
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B-1
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/07 05:21 UTC 版)
「HWK 109-509」の記事における「B-1」の解説
A-1の性能向上型。このエンジンは主燃焼室の直下に巡航用燃焼室を備え推力は300kp(2.9kN)に増加した。この燃焼室はT液の消費率を5kg/s付近で100%反応させるように計算される。推力は100kp(1kN)~2000kp(19.6 kN)の間で調節できる。
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B1
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 16:58 UTC 版)
● 「YOKOHAMA COAST garage+」 2022年5月1日現在、開業準備中で収容人数約800人を予定している。
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B1
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 16:58 UTC 版)
バーラウンジ「PITCH CLUB(ピッチクラブ)」2019年(平成31年)3月15日 - 4月4日のプレオープン後、4月5日に開業した。 「“上質な大人の遊び場”をコンセプトとしたアミューズメントバーラウンジ」を謳う。ビリヤードやプロジェクションマッピングを応用したダーツなどが楽しめるアミューズメント・バーラウンジで、横浜をテーマにしたカクテルや横浜で醸造されたワインなども提供される。
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B1
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 01:59 UTC 版)
普通のB型。
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B1
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 14:46 UTC 版)
全盲またはほぼ全盲。光を全く感じないか、光を感じても手の影を認識できない。
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B1(1973 - 1981年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 01:05 UTC 版)
「フォルクスワーゲン・パサート」の記事における「B1(1973 - 1981年)」の解説
アウディ・80(初代)をベースに縦置きエンジンで前輪を駆動する。またフロントフェンダーやドアパネルなども同じ物が使用され、徹底したコストダウンを行った。 1977年、マイナーチェンジが施され、ヘッドライトが丸型2灯から丸型4灯式に変更された。翌1978年のマイナーチェンジではウレタンバンパーが採用され、フロントウインカーがバンパーからヘッドライト横に移された。ブラジル法人の「フォルクスワーゲン・ド・ブラジル」でも生産されたほか、日本へは全年式に渡ってヤナセが輸入を行っていた。 3ドア リア ヴァリアント ヴァリアント リア
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B1
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/25 04:50 UTC 版)
1986年のパリ・サロンでデビュー。スタイリングは、ハルトムート・ヴァルクスらのアウディ社内デザインチームによるもので、1994年に登場するA4のチーフデザイナー、ペーター・シュライアーも担当した。インゴルシュタットに新設された工場で生産された。 メカニズムは基本的に2代目モデルのものを踏襲するが、ボディは一新され、細部までのフラッシュ・サーフェス化と4.5度強く傾斜したウインドスクリーンにより(『80年代輸入車のすべて』三栄書房、36頁参照)、「100」を超えるCd値0.29の空力特性をもつ。ボディ鋼板には、100%亜鉛メッキを施された。 トランクの荷室に入り込まない工夫されたヒンジや、ガイドピンにより開閉するドアウインドウ、90度近くまで開くドアなどが特徴。開発段階ではステーションワゴンタイプも計画されていたためか、トランク容量は2代目モデルよりも小さい。運転席からは、サテライトスイッチが姿を消し、ATにはスタッガードゲートが採用され、シフトレバーとブレーキペダルを連動させた安全機構が加わった。また、アウディ独自の乗員保護機構、プロコン-テンシステムが採用された。 4WDのメカニズムに関しては、従来のベベルギアに代わり、トルクセンシング能力をもつトルセンデフになった。これにより、状況に応じて前後のトルク配分を変化させることが可能になった。 トランクリッドにつく4輪マークは、1964年のアウトウニオンDKW・F102以来。当初、日本仕様のみの特注品であったが、のちに標準化され、現在のアウディ車まで続いている。 日本へは1987年6月よりヤナセから販売が開始された。当初、1.9L、3速ATの1種で、ハンドルは左右とも用意され、価格は共に407万円だった。1987年夏からはスポーツシートやスポイラーを装備した「シュポルト」(3速AT)が追加。1988年モデルから待望の「80クワトロ」の導入が始まり、MT仕様のみで、価格は543万円。また、装備を簡素化した廉価版のヨーロッパ(381万円)が追加され、「シュポルト」は5速MT仕様に変更された。1988年夏には新型90シリーズが導入され、「2.3Eシュポルト」の単一グレードで価格は490万円。1989年モデルからは、80シリーズの排気量が2.0Lに拡大し、90シリーズにはAT仕様が加わった。1990年モデルでは「90 2.3E」に右ハンドル仕様が設定され、「80クワトロ」の輸入が中止された。1990年夏には、ようやく「90クワトロ20V」の販売が開始された(569万円)。1991年3月には「クーペ20V」が導入され、613万円で発売された。さらに、80シリーズの日本国内販売10万台を記念して、特別仕様の「80ジーガー」(Sieger)が500台限定で販売された(395万円)。なおSiegerとはドイツ語で「勝者」の意味。 この第3世代の80は、1991年末までに約5万1千台が日本国内で販売された。
※この「B1」の解説は、「アウディ・80」の解説の一部です。
「B1」を含む「アウディ・80」の記事については、「アウディ・80」の概要を参照ください。
B1
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 15:48 UTC 版)
「マツダ・B型エンジン」の記事における「B1」の解説
1.1 L (1,138 cc) B1 - (68.0x78.4 mm) - SOHC 8バルブ、燃料供給はキャブレターで1987年から1989年にフォード・フェスティバ(DA)の輸出仕様である「マツダ・121」に搭載された。1991年から1995年の一部のヨーロッパ諸国向けのマツダ・121(DB)には燃料噴射装置付きも存在した。当時マツダと提携関係にあったキアの車両にも採用されており、ヨーロッパとアジア向けのキア・セフィアにも搭載された。
※この「B1」の解説は、「マツダ・B型エンジン」の解説の一部です。
「B1」を含む「マツダ・B型エンジン」の記事については、「マツダ・B型エンジン」の概要を参照ください。
「B-1」の例文・使い方・用例・文例
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