1959 - 1962年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 05:42 UTC 版)
「プリムス・ヴァリアント」の記事における「1959 - 1962年」の解説
1957年5月にクライスラー社長のレスター・ラム・“テックス“・コルバート(Lester Lum "Tex" Colbert )は、増加しつつある人気の高い輸入小型車に対抗する車を開発する委員会を立ち上げた。クライスラーのチーフデザイナーのヴァージル・エクスナー(Virgil Exner)は、室内と荷室のスペースを阻害することなくフルサイズ車よりも小型で軽量の車をデザインした。1955年のエクスナー作であるコンセプトカーのクライスラー・ファルコン(Chrysler Falcon)に因んで元々は「ファルコン」と名付けられたこの車は、ヘンリー・フォード2世(Henry Ford II)から自社のファルコン用に名称の使用を要請されたことに応えて「ヴァリアント」と改称された。ヴァリアントは1959年10月26日にロンドンの第44回国際自動車ショーにおいて独自ブランド「Valiant by Chrysler Corp」の名称で初めて披露され、その後「誰の弟分でもない、自らの4輪で自立した。」という謳い文句で宣伝された。1961年からヴァリアントは米国市場にプリムスのモデルとして導入された。1961 - 62年モデルのダッジ・ランサー(Dodge Lancer)は本質的にはヴァリアントの内装とスタイリングの細部を変えただけのリバッジ・モデルであった。 ヴァリアントは構造的な革新性という面ではゼネラルモーターズのコンパクトカーである空冷、リアエンジンのシボレー・コルヴェアよりも大人しかったが、こちらも新型でより平凡無難・保守的なスタイリングのフォード社のファルコンよりは美的な冒険心に富んだ車であると見られていた。ヴァリアントは「投げ矢や楔形に倣った滑らかで明確な線」を持ったエクスナーのフォワードルック(Forward Look)を誇示していた。フラッシュサイドの外観は、クライスラーのギアが製作した「デレガンス」(D'Elegance )と「アドヴェンチャラー」(Adventurer )という2台のコンセプトカーから受け継ぎ、ヴァリアントの室内空間を幾分か稼ぎ出すことに貢献していた。そのセミファストバックと長いボンネットから当時の多くの自動車雑誌ではヴァリアントのスタイルがヨーロッパ車の影響を受けていると考えていた。 ヴァリアントは全くの新規の車であったが、各部の設計要素は他の同時期のクライスラー車と関連を持っていた。先端に猫の目状のテールライトが付いた傾斜したテールフィンやスペアタイヤを模した膨らみを付けたトランクの蓋は、当時のインペリアルや300Fの特徴に類似していた。エクスナーによると、スペアタイヤ状の膨らみを付けたトランクの蓋はクライスラー車らしさを確立するためだけではなく「フォワードルックの外観を損ねることなくリアデッキ上を飾るため。」でもあった。量産型の小型大衆車という車格に比して相当に凝ったそれらの造形は、数年後にはあまりの過激なデザイン指向で時流から孤立してクライスラーを去ることになったエクスナー最盛期の典型的な作例の一つと言える。 ヴァリアントは全く新しい直列6気筒、直列のシリンダーを片側に30°傾けた有名な「スラント6」(Slant-6)エンジンを搭載していた。これによりボンネット位置を下げることができウォーターポンプを側面に移動することでエンジンの全長を短く収め、クライスラー社の先駆的な吸気管チューニング技術による効率の良い長く独立した吸気管と排気管を備えていた。高い信頼性が評判の鋳造ブロックのスラント6は、当初のアルミニウム製ブロックでは耐久性を持たせるために軽量合金ではなく密度の粗い丈夫な鋳造製であった。1961年終わりから1963年初めにかけて5万基以上の鋳造アルミニウム製版の225 cu in (3.7 L) エンジンが製造された。実際、1960年モデルのヴァリアントはアルミニウム鋳造技術の分野でクライスラー社が先駆者であることを実証していた。アルミニウム製のエンジンブロックを持つスラント6は1961年まで製造される一方で、インディアナ州のコーコモーにある鋳物工場では1960年モデルのヴァリアント用に多数のアルミ製部品を製造して車両の総重量を減らすことに貢献した。1960年モデルのヴァリアントではシャーシ部品用として鋳造アルミ製部品を多数使用していたことに加えて、構造/加飾部品に60 lb (27 kg) に達するアルミ製部品を使用していた。これらの部品にはオイルポンプ、ウォーターポンプ、オルタネーターのケース、ハイパー・パック(下記参照)や通常生産品の吸気管、トルクフライト(Torqueflite) A904型オートマチックトランスミッション(AT)やトルクコンバーターのケースと延長部、その他の細々した部品が含まれていた。これら鋳造アルミ製部品は同じ部品が鋳鉄製である場合に比べ約60%の重量を軽減することができた。鋳造アルミ製部品は、強度的にそれ程重要ではない部位の厚みを減らすことにも利点があり、この部品断面の厚みは少なくとも0.1875 inの厚みが要求される一定の品質を保つための鋳造技術の実践に貢献した。アルミのプレス製である外装の加飾部品は、クロームメッキが施された亜鉛鋳造製のものよりも軽量で、ヴァリアントのグリルとボディを取り巻くモールディング全ての合計は僅か3 lb (1.4 kg) しかなかった。もし当時の多くの車のグリルと同様に同じ部品を亜鉛鋳造部品で作るとその重量は13 lb (5.9 kg) 程になるはずであり、60 lb (27 kg) のアルミ製部品を使用することでヴァリアントの総重量の約4%に当たる102 lb (46 kg) の重量を軽減できた。 ヴァリアントのA-ボディ(A-body)・プラットフォームは、「ボディ・オン・フレーム構造ではなく「ユニットボディ」又は「ユニボディ」と呼ばれる構造(クライスラー社としては1930年代のエアフロー以来となる)を採用していた。他のユニボディ構造車がボルトで結合する前部サブフレームを有していたのに対しヴァリアントの前下部と応力構造の前部ボディは溶接で一体化されていた。フェンダー、クォーターパネル、床、屋根といった部位は、ボディ全体の強度と曲げに対する強度を分担していた。ユニットボディ構造のヴァリアントは1959年モデルの独立フレーム構造のプリムス車と比較して、捻り方向で95%と曲げ方向で50%も強固であった。動的テストでは、高い構造的共振周波数の達成と大きな減衰力を示したことによりボディの振動を減少させることを証明した。 前輪サスペンションはトーションバーを使用した不等長コントロールアームで構成され、後輪サスペンションは板バネで吊られた固定車軸を採用していた。クライスラー社はこの形式のサスペンションをヴァリアントやその他のA-ボディ車に1962年、1967年、1968年、1973年モデルで改良を施しながらも一貫して使用し続けた。
※この「1959 - 1962年」の解説は、「プリムス・ヴァリアント」の解説の一部です。
「1959 - 1962年」を含む「プリムス・ヴァリアント」の記事については、「プリムス・ヴァリアント」の概要を参照ください。
- 1959 - 1962年のページへのリンク