飛鳥・奈良時代以前
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発掘調査など、主に考古学分野の研究成果を通じてその実像に迫る試みが行われている。 鎌倉市内には多くの遺跡(埋蔵文化財包蔵地)があり(特に鎌倉中心部はほぼ全域が遺跡のエリアとなっている)、旧石器時代や縄文時代・弥生時代・古墳時代の遺跡も発見されているが、旧石器~縄文時代の遺跡(東正院遺跡・玉縄城遺跡・粟船山遺跡など)は、主に関谷や玉縄、大船地区などの市域北西部に分布し、柏尾川流域の台地上を中心に人々が住み始めたことが解っている。 弥生時代に入ると、縄文時代に引き続き市域北西部の柏尾川水系の丘陵地や台地上に集落遺跡の分布が見られるが、弥生時代中期後半からは水稲耕作の場を求めて鎌倉中心部である滑川の沖積低地部にも人々が進出し、低地北側(滑川上流)の大倉幕府周辺遺跡群に竪穴住居群(集落跡)が現れ、弥生時代末頃には由比ヶ浜沿岸の海岸砂丘帯に位置する由比ヶ浜南遺跡や長谷小路周辺遺跡などでも弥生時代の集落が営まれるようになる。 古墳時代末(6世紀頃)になると、鎌倉から三浦半島にかけては『古事記』に見える「鎌倉別(かまくらわけ)」という古代豪族の勢力圏であったと考えられており、横穴墓群が市内の丘陵地帯で多く形成された。鎌倉市から隣の横浜市栄区あたりまで存在している横穴墓遺跡の中には、特徴的な形をした玄室を持つものがあり、旧鎌倉郡に分布しているとして「鎌倉型横穴墓」(鍛冶ヶ谷式横穴墓)と呼ぶ事がある。 また海岸砂丘帯の長谷小路周辺遺跡では、横須賀市などの海辺でも見られる箱式石棺墓が発見されており、由比ヶ浜一帯で海洋民集団が活動していたと推定されている。 奈良時代の律令体制下では、鎌倉は相模国鎌倉郡の郡衙(郡役所)が置かれ、行政の中心となった。現在の御成小学校を中心とする今小路西遺跡では、整然と建ち並ぶ大型の掘立柱建物跡が検出され、納めた租税を書き付けた「天平5年(733年)」銘の木簡が出土したことから、鎌倉郡衙跡であることが判明した。 現在市内には、杉本寺、長谷寺、甘縄神明神社のように創建を奈良時代と伝える寺社が存在するが、実際に今小路西遺跡(旧・千葉地遺跡)や若宮大路周辺遺跡群(旧・千葉地東遺跡)では古代瓦が出土しており、古代寺院(千葉地廃寺)が存在していたことを示唆している。 また、万葉集にも登場し、三浦半島(相模国)から海路を通じて房総半島(下総国)へ向かう古代の東海道が通っていた。由比ヶ浜の由比ガ浜中世集団墓地遺跡では、漁労具を伴う奈良・平安時代の集落遺跡や、祭祀に用いられた卜骨が出土しており、古墳時代に続き、古代においても沿岸部では海と関わる人々の生活が続けられていた。 鎌倉は、比較的古くから人々が居住して古代には郡衙が置かれ、古東海道の中間地点として伊豆半島~房総半島を繋ぐ海上交通と物流の要衝と考えらている。 また、鶴岡八幡宮の敷地に関しても、1982年(昭和57年)の発掘調査で土葬の遺骨や寺院の遺構と思われるものが発見されている。福島金治は『阿娑縛抄』第百十四「妙見部」に引用されている仁平3年(1153年)8月9日付の「妙見菩薩供注進状」の中で、聖昭が鳥羽法皇と藤原忠通の諮問に対して国内の妙見菩薩信仰の拠点として比叡山北谷の妙見堂と並んで挙げている「鎌倉生源寺」がその該当寺院であった可能性を指摘している。生源寺は廃仏毀釈によって廃された松源寺(岩窟不動尊の東にあった)の前身と推測されており、事実とすれば鶴岡八幡宮建設時に移転をしたことになる。福島は頼朝以前の鎌倉地域(江ノ島を含める)が天台宗の重要な拠点であった可能性を指摘した上で、『吾妻鏡』の表現を「武家政権誕生を意図した説話的表現」で、これはそのまま徳川家康の江戸入城時の逸話にも転用されている可能性があるとしている。 なお、蘇我入鹿打倒を祈願するために常陸国の鹿島神宮を訪れた藤原鎌足が、帰途に霊夢によって鎌を埋めた土地であることから「鎌倉」と命名されたとする伝説がある。これは鎌足の末裔である藤原頼経が将軍の地位に就いた鎌倉時代中期以後に成立した伝説とみられ、史実ではないが、中世から近世にかけて多くの地誌に採録されて広く信じられていた。 平安時代末期には平直方が居館を構え、平忠常の乱鎮圧を源頼信に委ねて以来、河内源氏ゆかりの地となった。『陸奥話記』などの軍記物語には頼信の息子である源頼義の武勇にほれ込んだ平直方が頼義を娘婿に迎えて鎌倉を譲ったと伝えている。歴史学者の川合康は、頼信父子も直方も京都を本拠とする軍事貴族であり、直方が京都において頼義を娘婿に迎えた後に相模守に任じられた頼義のために鎌倉にあった所領を譲ったのではないかと推測している。 また長谷寺、甘縄神社、御霊神社、星井寺、元八幡宮、荏柄天神社、もしくはその前身が創建されたと縁起などに基づき考えられている。
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