甘縄神明神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/23 14:04 UTC 版)
| 甘縄神明神社 | |
|---|---|
| 拝殿 |
|
| 所在地 | 神奈川県鎌倉市長谷一丁目12番1号 |
| 位置 | 北緯35度18分52.2秒 東経139度32分13.2秒 / 北緯35.314500度 東経139.537000度座標: 北緯35度18分52.2秒 東経139度32分13.2秒 / 北緯35.314500度 東経139.537000度 |
| 主祭神 | 天照大御神 |
| 社格等 | 旧村社 |
| 創建 | 伝・和銅3年(710年) |
| 本殿の様式 | 神明造 |
| 別名 | 甘縄神明宮、甘縄神明社 |
| 例祭 | 9月7日 – 14日 |
| 地図 | |
甘縄神明神社(あまなわしんめいじんじゃ)は、神奈川県鎌倉市長谷に所在する神社。旧社格は村社。鎌倉市最古の神社とされている[1]。
もと甘縄神明宮や甘縄神明社などと呼ばれていたが、1932年(昭和7年)に「神社」名と定まった[2]。
祭神
- 主祭神
歴史
正徳2年(1712年)瑞峯祖堂による『相州鎌倉郡神興山〔ママ〕甘縄寺神明宮略縁起』によれば、和銅3年(710年)8月に行基が草創。年を下り、染屋時忠によって
この縁起には、下向の源頼義が平直方の娘と婚姻を結んだのち、当社に祈願したところ源義家が出生したとの逸話も伝わっており、以降、河内源氏との関わりが続いている。康平6年(1063年)には頼義、永保元年(1081年)には義家によって社の修復が行われた[4]。
鎌倉時代の歴史書である『吾妻鏡』には、文治2年(1186年)正月に安達盛長監督による修理・建築が終わり源頼朝が北条政子と共に参詣したことが記され、また建久5年(1194年)6月20日・8月22日条にも頼朝が参詣したことが記されている[2]。源実朝なども参詣した[5]。
ただし開創については縁起に伝わる内容を懐疑視して、伊勢神宮の別宮として成立したものでないかとする異説もあり[2][3]、特に奥富敬之は行基の草創を虚伝と主張している[3]。当地は伊勢神宮の所領として長治年間(1104年 – 1106年)に成立した大庭御厨の範疇にある事、また、『吾妻鏡』の記載では度々当社が「伊勢別宮」として触れられている事から、当初より伊勢神宮の別宮として建てられたのではないかという[3]。
『吾妻鏡』の記録では更に、源頼朝が参詣後に毎度安達盛長の屋敷(「甘縄の家」)へ寄っていたことが記録されており、社の南方には安達盛長の屋敷があったと伝える『安達盛長邸址』の碑がある。ただ、実際の屋敷は御成町の今小路西遺跡の地域に建っていた[2]。
名称の「甘縄」は長谷周辺の古い地名であったという[1]。「甘」が海女を表し、「縄」は漁に用いる縄を意味するとする説もある[5]。
かつては甘縄院という別当寺が存在した。宝永6年(1709年)に没した京都・妙心寺の独園和尚が当社を中興したと伝わり、その際に社殿・寺舎がつくられて、独園の弟子で前述の『略縁起』を著した瑞峯祖堂が住持となった[3]。本尊は地蔵菩薩であったという[6]。神仏分離によって廃されたといい、1887年(明治20年)には長谷寺の鎮守である五社明神が移設・合祀された[2]。
1923年(大正12年)の関東大震災では、本殿が半壊・拝殿は全壊の被害を受けており[3]、現存する本殿や拝殿は1937年(昭和12年)に再建されたものである[2]。
例祭
甘縄神明神社の例大祭は毎年9月7日から14日にかけて行われる[5]。御神酒所や神輿が用意され、大町の八雲神社から出向してきた神官が祭事を執り行う。神輿の渡御は第2日曜日に行われる[5]。
神社を題材とした文学作品
- 『万葉集』巻14にある作者不明の和歌
かまくらの見越の崎の石崩の君が悔ゆべき心はもたじ
は、「見越の崎」が当山であるとの説があり、境内に歌碑が建てられている[3]。 - 宗尊親王は瓊玉和歌集に、
都にははや吹ぬらしかまくらの神輿ヶ崎の秋のはつ風
と詠んだ[1]。 - 川端康成は社の近隣に住んでおり、小説『山の音』に描写されている鎌倉の家の周辺は、甘縄神明神社の近辺がモデルであるとされる[1][2]。
交通
脚注
- ^ a b c d PHP新書『鎌倉の寺社122を歩く』p.195
- ^ a b c d e f g 吉川弘文館『鎌倉古社寺辞典』、p.116
- ^ a b c d e f g 奥富敬之『鎌倉史跡事典』新人物往来社、1997年3月15日、25-26頁。ISBN 4-404-02452-5。
- ^ a b 『鎌倉の神社 小事典』吉田茂穂 監修、かまくら春秋社、2011年1月27日、64-65頁。 ISBN 978-4-7740-0205-7。
- ^ a b c d 鎌倉市教育センター 編『鎌倉子ども風土記』(第13版)鎌倉市教育委員会、2009年3月31日、140-142頁。国立国会図書館書誌ID: 033224656。
- ^ 鎌倉市史編纂委員会、亀井高孝 編『鎌倉市史 社寺編』(2版)吉川弘文館、1967年10月31日(原著1959年10月20日)、124-125頁。 NCID BN0685260X。NDLJP:3013447/440。
関連項目
外部リンク
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