音楽教育者として
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1931年(昭和6年)9月東京音楽学校助教授に任官。武蔵野音楽学校講師兼任。1935年(昭和10年)留学からの帰国後、母校の教壇に復帰。1940年(昭和15年)3月東京音楽学校教授任官。1942年(昭和17年)3月東京音楽学校主任教授任官。GHQからの指令で1946年(昭和21年)8月東京音楽学校を退官。1951年(昭和26年)9月広島大学音楽学部教授任官。1953年(昭和28年)11月東京学芸大学教授に転任。1955年(昭和30年)2月(大阪)、9月(東京)「木下保楽壇生活30年祝賀・門下生謝恩音楽会」開催。『恩師を讃える歌』(大谷智子裏方作詞/團伊玖磨作曲)が生まれ、以降、門下生に歌い継がれる。1967年(昭和42年)1月公開レッスン「やまとことばを美しく」を開催。3月東京学芸大学教授退官。4月洗足学園大学音楽学部教授、フェリス女学院短期大学、武庫川女子大学、大阪音楽大学非常勤講師に就任。1971年(昭和46年)4月東京純心女子短期大学非常勤講師就任。1981年(昭和56年)4月洗足学園名誉教授就任。門下生には東京音楽学校時代に中山悌一、渡邊高之助、畑中良輔、秋元雅一朗、塚本智子、伊藤亘行、笹田和子、藤井典明、内田るり子、稲葉政江、佐々木行綱、次世代では三林輝夫、岡村喬生等の優秀な人材を輩出している。
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音楽教育者として
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元東京藝術大学教授。現在東京藝術大学名誉教授。二期会会員。瀬山の門下生による「詠の会」が組織されており、2015年(平成27年)1月14日には第24回演奏会『三善晃 歌曲の夕べ 追悼特別演奏会』が開催されている。出演者は三宮美穂、紙谷弘子、小畑朱実、斎藤三和子、濱田千枝子、星野直子。また、彌勒忠史、崔宗宝、田代和久、乗松恵美、藤澤幸義子、戸山志津江、西口則子、鳥養和歌子、も瀬山の教えを受けている。瀬山は藝大教授当時「日本歌曲を正しく歌える人が少ないことを憂い、本当に勉強したい人に分け隔てなく、自分の培ったものを全て伝えていきたい」と藝大大学院において「日本歌曲ゼミナール」を始めた。 東京藝術大学を定年退官後30年を迎える2020年現在においても、「日本歌曲ゼミナール」を継続して開催している。レッスンは非常に厳しく、自作品のレッスンを聴講した木下牧子は「私が受けたら泣いてしまいそう」と記している。また、大分県立芸術文化短期大学での声楽公開レッスンや、東京二期会「日本歌曲研究会」講師、国立音楽大学における声楽公開レッスン、さらには2020年(令和2年)11月-12月には文化庁委託事業「次代の文化を創造する新進芸術家育成事業」として、日本歌曲の公開マスタークラス講師を務めるなど、声楽界の重鎮として、後進の育成に第一線で活躍中である。
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音楽教育者として
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東京学芸大学教授、NHK放送講師、日本教育大学協会全国音楽部門大学部会長などを歴任。現在、東京学芸大学名誉教授、洗足学園大学名誉教授。 教育者として優れ、教えを受けた多数の音楽家が各方面で活躍している。門下生には、小濱妙美、稲富祐香子、藤川泰彰、藤井宏樹、畠山茂、藤谷佳奈枝、片桐充千子、亀井陽二、坂本かおる、新実真琴、中島裕紀、鈴木恵子、廣石雄司、佐竹由美、岩﨑恭男、三木ユリ、近藤直子、金木美沙枝、吉見佳晃、田島由衣、平尾弘之、十日谷正子、矢野一誠、益子悦子、相澤宏一、山田典子、大貫浩史、渡邊光太郎、徳井えりな、酒井寛子、中村皇、由比昌子、飯塚道夫、小沢祐美子、牛野亮介、鬼無律友、杉ノ内由紀、山本早苗、小島聖史、福井香織、松崎郁未、河口教昌、佐々木桂子、小比賀美紀、佐川雅夫、溝田和子、寺門芳子、加行尚などがいる。 アマチュアとも関わりがあり、コーロ・こせやま(共立女子大学OG合唱団)、若葉台混声合唱団の指揮者を務めるとともに、東京学芸大学混声合唱団、東京カントライおよび青山学院大学グリーンハーモニー合唱団のヴォイストレーナーを務めている。 1984年度(昭和59年度)NHK全国学校音楽コンクール 全国コンクール高等学校の部、1985年度(昭和60年度)NHK全国学校音楽コンクール 全国コンクール小学校の部の審査員を務めたのをはじめ、東洋英和女学院中学部の合唱コンクールの審査を例年行なうなど、合唱等の行事の審査員・講師も多数務めている。
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音楽教育者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 16:47 UTC 版)
音楽教育者として優れ、1957年(昭和32年)より東京芸術大学講師として、指揮法、ソルフェージュ、合唱、オペラ実習等を担当。 1966年(昭和41年)より東京学芸大学教授、創価大学教授、福島大学、福岡教育大学講師を歴任。 多くの優れた門下生を世に送り出した。 のちに世界的指揮者となった若杉弘を、東京芸術大学の声楽科から指揮者への道へと導いたのは、伊藤と畑中良輔である。 他に(Web上で個人名を確認できる範囲に限っても)以下の人物が伊藤の門下生であり、多士済々な後進を育成した。 樋本英一 田久保裕一 江上孝則 宮下正 嶋津武仁 今井仁志 卜部一恵 大野久美子 菊地雅樹 田中達也 吉田恵子 北條加奈 成田正人 井崎正浩 坂本かおる 足立勉 山本ゆう子 雨谷善之 榊原哲 齊藤一郎 飯塚道夫 桜井真知子 寺門芳子 小松長生 笠井幹夫 薮田晴子 廣石雄司 宮﨑育代 田中登志生 吉野恵美子 堀江英一 伊藤祐二 橋場友彦 池尻辰雄 金澤素子 門馬春之 川井弘子 宮川勝明
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音楽教育者として
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国立音楽大学講師 尚美学園大学講師 二期会アドヴァンスドコース・2017年度(平成29年度)- 2020年度(令和2年度)現在主任講師 門下生として、阿部大輔、小野夏樹、海下智昭、今野香澄、古澤利人などがいる。
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音楽教育者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 20:25 UTC 版)
門下生には伊原直子、鮫島有美子、松井康司をはじめ、河野典子、大橋ゆり、小川明子、九嶋香奈枝、天羽明惠、小林晴美、中屋早紀子、安井耕一、人見共、下村洋子、石井美榮子、福田靖子、山内みどり、菅家奈津子、横尾佳子、後藤ちしを、中田順子、小田切美香、田中旭子、渡邉芙美子、酒井紀子、上杉清仁、鈴木千賀子、神田沙央理、みどり・オルトナー、山田英津子、山倉麻、柏木博子、桑田葉子、白川部尚子、日比野景などがいる。 死去した年の2015年(平成27年)3月22日まで二期会ドイツリート研究会において現役の講師を務めており、北村さおり、佐藤信子、中谷美恵子、高橋節子、杉下友季子、稲葉美和子、二見忍、近藤悦子、横山一恵、谷真希、池野博子、佐藤信子、内藤明美、刀根敬子などが指導を受けていた。
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