陣中町時代(1970-1998)
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「豊田市中央図書館」の記事における「陣中町時代(1970-1998)」の解説
昭和40年代の豊田市は公的施設の開館が続いた時期であり、豊田市立図書館の陣中町移転もこの時期であった。1963年に新築された豊田市庁舎を皮切りに、豊田市市民センター(1965年)、豊田市郷土資料館(1967年)、豊田市青年センター(1968年)、豊田警察署(1969年)、豊田市体育館(1970年)、豊田市消防本部庁舎(1970年)、豊田保健所(1970年)、豊田市文化芸術センター(1975年)などがこの時期に竣工している。 喜多町の図書館の建物は老朽化・狭小化が進んでいた。1965年(昭和40年)12月23日、矢作川西岸の陣中町に4,306.28m2の新館建設用地を取得し、1969年(昭和44年)4月2日には新館の起工式を行った。この場所は名鉄豊田市駅から北東に徒歩15分の距離にあり、新たな都市計画を行う文教地区の一角にあった。1970年(昭和45年)3月5日には豊田市立図書館新館の落成式を行い、3月6日に延床面積2,004.75m2の新館が開館した。 建築事業費は16億1509万円。人口30万人を想定して設計されており、年間10万人の入館を想定していた。閲覧室は旧館と比べて拡充され、電動書架を採用するなど設備の近代化が図られた。新館移転の際の蔵書数は約6万冊だった。開館時間は4月から9月が「9時-18時」であり、10月から翌年3月が「9時-17時」である。毎週木曜日は通常時と比べて閉館時間が1時間延長され、新聞記事は「時間にしばられている勤労者などに暖かい配慮がされている」と伝えている。 豊田市立図書館の設計は青島設計室である。空間を開放的に用いており、ゆったりとしたピロティや庭が特徴的である。一貫した主張を読み取ることができる建築が評価され、豊田市立図書館は1970年の第2回中部建築賞で入賞している。 開館直後の1970年3月10日には移動図書館車「ひまわり号」の運行を開始した。1973年(昭和48年)9月1日には移動図書館サービスを豊田加茂広域市町村圏移動図書室に移管し、12月1日には豊田加茂広域市町村圏移動図書館が運行を開始した。1974年(昭和49年)4月1日には視聴覚資料(カセットテープ)と紙芝居の貸出を開始した。 1974年度(昭和49年度)末時点の蔵書数は94,845冊であり、児童書が27.9%、一般書の文学分野が21.6%と、両者で約半数を占めていた。挙母文庫と内藤文庫を主体とする古書は計3,266冊であり、挙母藩内藤家関係文書などを加えると8,266冊の古文書があった。1970年度の貸出冊数は57,703冊、1974年度の貸出冊数は173,643冊であり、わずか4年間で3倍となっている。 1979年(昭和54年)10月20日には児童室を増築し、1981年(昭和56年)2月15日には書庫・会議室・事務室などを増改築した。1980年(昭和55年)10月6日には本館の図書館業務を電算化し、本館と高橋コミュニティセンター図書室をオンラインで結んだ。各コミュニティセンター図書室は順次本館とオンラインで結ばれている。『豊田の教育 1982』によると、成人向けの文化活動として、古典文学鑑賞講座(万葉集)を月1回、郷土を知る会を月1回、製本講座を月1回開催していた。 1990年(平成2年)4月1日には郵送貸出サービスを開始し、同時に祝日開館を開始した。1992年(平成4年)4月21日にはイギリスのオックスフォード大学ボドリアン図書館との間で国際交流宣言に調印し、1996年(平成8年)8月5日には図書資料借用契約に調印した。1995年(平成7年)7月1日には本館とコミュニティセンター図書室6室を物流で結び、どこでも返却することが可能になった。1998年(平成10年)4月1日から6月30日は通常開館したが、閉架資料の利用は停止した。7月1日から7月10日は休館、7月11日から8月31日は資料の貸出を停止し、一部資料の閲覧と閲覧席の提供のみを行った。9月1日には移転のために陣中町の豊田市図書館が閉館した。これ以後も分館・分室・移動図書館は通常通りの業務を行っている。
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