陣中での病死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 06:28 UTC 版)
紀元前406年、ヘルモクラテスのカルタゴ領に対するゲリラ的攻撃に対処するために、ハンニバルは遠征軍を率いて再びシケリアに渡った。上陸後、ハンニバルはアクラガス(現在のアグリジェント)に向かいこれを包囲した。ハンニバルは攻城堡塁建設のために、郊外の墓や記念碑を破壊して材料にするように命じたが、兵士はこれを恐れた。ちょうどその頃カルタゴ軍にペストが蔓延し、ハンニバルも病死した。後を継いだヒミルコは、墓や記念碑の破壊を中止して兵士を安心させ、包囲を続けてアクラガスを陥落させた(アクラガス包囲戦)。
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