防火帯とは? わかりやすく解説

防火帯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 14:36 UTC 版)

平和大通り」の記事における「防火帯」の解説

1937年昭和12年防空法制定広島市でも防空態勢充実図られるうになる太平洋戦争末期になると、戦況の悪化によりアメリカ軍による本土空爆激しくなっていった。そこで、市街での延焼を防ぐため防火帯を設けることになり建物疎開全国実施される1944年昭和19年11月広島市において建物疎開実施決定し内務省により疎開地区決められ国民義勇隊学童勤労奉仕隊学徒動員)により作業が行われた。 現在の平和大通りにあたる道は、この時に鶴見町から福島町を結ぶ全長3,570m幅員100m防災道路として計画されたものである現在の平和大通り周辺の約16,000戸の立ち退き作業が行われ、上の空写真のとおりほとんど終えていた地区もあり、防火帯の中央は幅20mほどの砂利道として整備されていた。 1945年昭和20年8月6日8時15分、アメリカ軍投下した原爆により右の被害分布図被爆後の各写真から、原爆の前では防火帯として全く意味がなかったとわかる。一瞬全市燃え広がったわけではなく6日9時頃から拡大しその後14時まで勢いよく燃え広がり夕方には衰えたが、3日燃え続けた。それでもこの防火帯の中央付近は火が及ばなかったため、多くの人がこの道から比治山向かって逃げていった。当時、風は南西方向から吹いていたため、爆心地付近かろうじて生き残った多数が火を逃れるため風上にあたる西あるいは南へ逃げ一部が東である比治山方面逃げている。防火帯に存在していたとしては新橋焼失したが、鶴見橋新大橋そして現在平和大通り西端にあたる広島電鉄本線鉄橋落橋しなかったため、避難路となった。 またこの日は第6次建物疎開作業中で、この沿道に限れば鶴見橋西側付近広島県庁付近現在の中島町/加古町)・土橋付近の3箇所、その他広島市役所付近八丁堀付近電信付近現在の比治山本町)、楠木町行われていた。学徒動員は、この沿道含めた全体で約8,200人が動員されうち約5,900人が死亡した国民義勇隊明快な資料残っていないため推定ではあるが、同様にこの沿道含めた全体で約11,600人が動員されうち約4,600人が死亡した県社援護推測)。疎開地点でもあり比治山への避難経路だった鶴見橋両岸は、凄惨極めた。 以下、この沿道限った被爆当日における建物疎開動員状況を示す。 疎開動員状況 疎開作業場区分義勇隊名あるいは学校名鶴見橋付近国民義勇隊 市内義勇尾長矢賀荒神段原比治山那、白島竹屋 郡部義勇坂村中野村 職域義勇東洋工業鈴木化学工業 学童勤労奉仕隊学校報国隊) 広島女子商、比治山高女、進徳高女、市立第一工、広島電気松本工業県立第一中、広陵中、第一国民学校国民学校牛田国民学校白島国民学校 県庁付近国民義勇隊 市内義勇本川中島観音 郡部義勇安村川内村 職域義勇住宅営団川本組、芸備銀行油谷重工業、県義勇本部事務隊、宇品造船所広島瓦斯広島県庁藤川製鋼所、勧銀広島支店中国新聞広島県水産業会、県加計土木出張所 学童勤労奉仕隊学校報国隊) 第二国民学校県立第二中、県工、市立第一工、市立造船工、市立第一高女崇徳中、松本工業安田高女山陽商業新庄中 土付近国民義勇隊 市内義勇草津神崎大芝、三篠、天満古田広瀬本川 郡部義勇大竹町小方村玖波町 職域義勇広島醤油KK内務省中四国土木帝人広島工場昭和金属住野工業三菱重工業高密機械製作所広島機械製作所広島食料品組合広島工業広島航空機KK広島工業KK廿日市)、東亜有機化学工業所、県加計土木出張所 学童勤労奉仕隊学校報国隊) 本川国民学校千田国民学校草津国民学校天満国民学校県立第一中、県立第一高女市立中、崇徳中、西高、安芸高女県立商業 アメリカ軍撮影した被爆後広島市写真 現在の中区河原町付近から東方向を望む。中央縦断する道がのちの平和大通り手前部分が後に平和公園当日建物疎開地点一つ県庁付近にあたる。なお左上サインポール・ティベッツのもの。 現在の広島駅付近から西方向を望む。写真中央横断する道がのちの平和大通りになる。この道写真右端当日建物疎開地点一つである土橋付近、そこから左側の川を超えたところが県庁付近にあたる。 現在の中区寺町広瀬から東方向を望む。中央の丘が比治山中央の鶴見橋、そこから右下伸びる道がのちの平和大通りカーブ地点より向こう側当日建物疎開地点一つ鶴見橋付近にあたる。 現在の中区吉島付近から北方向を望む。写真中央やや右を縦断する太い道が鯉城通り、その下の南大橋。その一つ上の交差点鷹野橋交差点、その一つ上が白神社交差点であり、そこを横断する道がのちの平和大通り。 同1945年9月には大型枕崎台風同年10月には阿久根台風伴って豪雨広島市内を直撃し、更に被害拡大した

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防火帯

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中央分離帯」の記事における「防火帯」の解説

北海道札幌市 - 大通公園道路の上下線間の中央広がる公園。元は防火帯として作られた。現在は歩行者空間としての役割大きく市民憩いの場観光名所となっている他に、イベント会場として使われている。 大通公園北海道札幌市2016年さっぽろテレビ塔から撮影北海道函館市 - 市内各所函館市では歴史上函館大火等の大規模火災多数発生したという歴史から、防火帯として幅の広い道路多数設置され必然的にグリーンベルト呼ばれる広幅中央分離帯同時に設けられるケース多く一部公園施設等の歩行者空間として利用される事もある。一例として函館市松風町広幅中央分離帯イベント時の会場公園敷地として使われる他に、函館市元町青柳町宝来町東川町在す北海道道675号立待岬函館停車場線一部市道通称高田屋通」の中央分離帯上に「高田屋嘉兵衛」の銅像設置されるなどしている。 北海道道675号立待岬函館停車場線の、市道高田屋通側から見た広幅中央分離帯グリーンベルト北海道道675号立待岬函館停車場線中央分離帯設置高田屋嘉兵衛イベント等にも使われる広場となっている広幅中央分離帯1(北海道函館市市道広小路イベント等にも使われる広場となっている広幅中央分離帯2(北海道函館市市道広小路公園として活用されている広幅中央分離帯グリーンベルト北海道函館市市道豊川小路

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