購入から第一次世界大戦までとは? わかりやすく解説

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購入から第一次世界大戦まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 01:17 UTC 版)

トゥルグート・レイス級装甲艦」の記事における「購入から第一次世界大戦まで」の解説

本級は、購入前の1901年近代化改装老朽化した機関換装副砲の2門増加魚雷発射管水面下移設等の改装行っており、この状態で1910年8月オスマン帝国海軍購入された。 購入後の本級はトルコ艦隊属したが、本級を戦力化するためには、全体練度充分とはいえない艦隊の中から数少ない訓練され下士官を引き抜かねばならず、戦力化には一層の努力が必要であった。しかし、購入翌年1911年勃発した伊土戦争によって本級は早くも戦乱巻き込まれた。イタリアとの開戦時に本級を含むトルコ艦隊は、7月から慣熟訓練兼ねて黒海出て地中海で訓練航海出ており、9月28日時点ではベイルート近辺行動中で、この訓練艦隊は装甲艦トゥルグート・レイス」「バルバロス・ハイレッディン」「メスディイェ」、駆逐艦バスラ」「サムスン」「タショズ」「ヤルヒッサル」と水雷艇「デミルヒッサル」からなっていた。この時にイタリア海軍トリポリ確保するために3の兵を輸送中であり、護衛艦隊接触すればトルコ艦隊敗北必須であった幸いにも9月30日本国からの警報受信できた訓練艦隊はダーダネルス海峡急行し10月2日にはコンスタンティノープル帰還し難を逃れる事ができた。しかし、優勢なイタリア海軍に対してトルコ艦隊逼塞強いられ1912年10月イタリアとの戦争終結するまで本級は全く行動できなかった。 1912年10月17日バルカン同盟諸国との間でバルカン戦争勃発すると、オスマン帝国艦隊ブルガリアに対して積極攻勢出たオスマン帝国海軍ギリシャ海軍仮想敵として海軍整備していたため、ギリシャより海軍力の劣るブルガリアに対して優位に立つことができたのであるオスマン帝国艦隊10月19日ブルガリア沿岸部ヴァルナВарна)港に本級2隻と防護巡洋艦ハミディイェ」「メジディイェ」と4隻の水雷艇伴って艦砲射撃敢行ブルガリア海軍水雷艇撃退してオスマン帝国艦隊45発の砲弾発射しブルガリア軍塹壕線を破壊して士気高揚図った続いて艦隊カヴァルナ向かいブルガリア陸軍物資補給所艦砲射撃行い、これも損害与えた。この折に、港にいたブルガリア海軍小型水雷艇2隻を捕獲したこの後オスマン帝国艦隊コンスタンティノープル布陣し自国陸軍に対して支援行動行った。 この時にブルガリア海軍小型水雷艇4隻により防護巡洋艦ハミディイェ」が雷撃受けて大破した意気乗るブルガリア陸軍攻勢に出るが、本級を含むオスマン帝国艦隊マルマラ海沿岸部から艦砲射撃行い敵軍攻勢挫いた攻撃失敗により攻撃限界迎えたブルガリアセルビアモンテネグロ12月3日トルコ休戦協定結んだ。これにより、オスマン帝国艦隊ギリシャ艦隊だけに戦力集中することが可能となったギリシャ艦隊は、10月18日から20日にかけ、ダーダネルス海峡封鎖主目的としてリムノス島占領作戦成功させていた。12月16日オスマン帝国海軍によるギリシャ反攻作戦開始され、本級の「トゥルグート・レイス」「バルバロス・ハイレッディン」2隻、装甲艦「アサル・テヴフィク」、防護巡洋艦「メジディイェ」及び駆逐艦4隻が出動した。これに対しギリシャ艦隊旗艦「イェロギオフ・アヴェロフ」、イドラ級海防戦艦3隻及び駆逐艦4隻が迎撃出動したオスマン帝国艦隊は9:50射距離約1,4000mからギリシャ艦隊に向け射撃開始した一方ギリシャ艦隊速力に勝る旗艦の「イェロギオフ・アヴェロフ」と駆逐艦隊を先頭配置し低速イドラ級3隻は並列配置主砲配置活かせ横列陣形を採り、必中期して7,800mまで近づいてから応戦したオスマン帝国艦隊低速イドラ級3隻と砲戦行っている隙に高速の「イェロギオフ・アヴェロフ」は反対側に回り込んでオスマン帝国艦隊を両舷からサンドイッチして砲撃開始した。この時点劣勢判断したオスマン帝国艦隊は9:50ダーダネルス海峡向けて撤退開始したが、練度に劣る艦隊バラバラ散開してしまって味方同士射界制限し接触危険性もあり、各個撃破格好となってしまった。この隙を突かれて「バルバロス・ハイレッディン」は後部甲板命中弾を受けて水兵5名が戦死した。その直後3番主砲塔直撃弾1発を受け、誘爆こそ無かったものの主砲の1/3が砲撃不能となった機関室にも破片進入し損傷したボイラーから出火して炎上した。「トゥルグート・レイス」と「メジディイェ」にも被弾したが、小破程度上部構造体が燃えた程度であった。この戦いでオスマン帝国艦隊800発もの砲弾発射したが、ギリシャ艦隊に対してこれといった損害与えられず、3,000mまで接近した「イェロギオフ・アヴェロフ」に大口径砲弾1発を命中させたに留まり装甲帯に弾き返され損傷与えるに至っていない。(エリ海戦)。 士気低下恐れたオスマン帝国艦隊は、損傷浅かったトゥルグート・レイス」と防護巡洋艦「メジディイェ」及び駆逐艦4隻によりダーダネルス海峡突破狙ったが、ギリシャ艦隊が行動中であるのを発見し撤退した。 続くレムノス海戦では、ラムシ・ベイ大佐率いられダーダネルス海峡渡ったオスマン帝国艦隊トゥルグート・レイス」「バルバロス・ハイレッディン」と防護巡洋艦「メジディイェ」「ハミディイェ」と駆逐艦水雷艇13隻が、レムノス島まで13マイル地点ギリシャ艦隊迎撃された。ギリシャ艦隊旗艦「イェロギオフ・アヴェロフ」を発見したオスマン帝国艦隊退却試みたが、前回立場変わり今度長距離砲撃を受けたオスマン帝国艦隊撤退するギリシャ艦隊追撃を採り、約2時間後には「イェロギオフ・アヴェロフ」に5,000mまで接近された。オスマン艦隊友軍ダーダネルス要塞射程まで敗走した。この戦闘で、主力艦バルバロス・ハイレッディン」と「トゥルグート・レイス」は激しく炎上し、「バルバロス・ハイレッディン」は2番主砲塔使用不能となり、同じくトゥルグート・レイス」も砲塔1基が破壊された。さらに装甲艦「アサル・テヴフィク」も大破しオスマン側の人的被害戦死31名、負傷者82名を数えたオスマン艦隊大小砲弾合わせて800発を放ったが、ギリシャ艦隊にはほとんど被害はなく、1名が重傷負っただけであった1913年2月8日オスマン帝国艦隊輸送船陸軍の上作戦支援した。「バルバロス・ハイレッディン」「トゥルグート・レイス」に数隻の巡洋艦で、砲兵隊海上から沿岸部1kmにかけて援護射撃行い陸軍左翼支えたが、オスマン帝国陸軍攻め切れず撤退開始したブルガリア陸軍反撃出たが、その先を「バルバロス・ハイレッディン」からの艦砲射撃により挫かれて反撃失敗した。この戦いでバルバロス・ハイレッディン」は10.5cm副砲と8.8mm対水雷艇合わせて180発から250発を消費した1913年3月に再びオスマン帝国艦隊はatalca守備隊への支援再開し3月26日に「バルバロス・ハイレッディン」は28cm主砲と10.5cm副砲用いて艦砲射撃行った。「トゥルグート・レイス」は3月30日に、撤退中のブルガリア陸軍攻撃するオスマン帝国陸軍左翼支援砲撃行ったオスマン帝国軍進軍野戦砲と「バルバロス・ハイレッディン」の火砲により後押しされ日暮れまでに約1,500m進軍距離を得た

※この「購入から第一次世界大戦まで」の解説は、「トゥルグート・レイス級装甲艦」の解説の一部です。
「購入から第一次世界大戦まで」を含む「トゥルグート・レイス級装甲艦」の記事については、「トゥルグート・レイス級装甲艦」の概要を参照ください。

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