設立の経緯と路線建設とは? わかりやすく解説

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設立の経緯と路線建設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 02:40 UTC 版)

東葉高速鉄道」の記事における「設立の経緯と路線建設」の解説

1972年昭和47年3月答申第15号において、都市計画第5号線(東西線)が、西船橋 - 新船橋付近 - 飯山満 - 北習志野 - 八千代市中央部 - 勝田台終点とする路線改められた。営団地下鉄1974年昭和49年3月22日第5号線「営団勝田台線西船橋 - 勝田台間(16.2 km)の延伸正式に決定同年3月30日路線免許申請した営団地下鉄計画では1976年昭和51年9月20日建設工事着手し1979年昭和54年10月開業予定建設費用は955億円を見込んだ東西線西船橋以西)とは直通運転行い途中北習志野駅のみ停車する快速列車の運転予定していた。 営団地下鉄としては、第7号線(南北線)や第13号線(副都心線)の建設必要性があったが、当時東京周辺で最も人口の増加激しかった船橋市八千代市などが千葉県とともに1973年昭和48年5月に「営団地下鉄東西線建設促進協議会」を結成し、「営団勝田台線」の建設陳情営団地下鉄繰り返したことから、建設決定したのである。しかし、建設向けた手続き進めにあたり、特に沿線競合関係となる京成電鉄から死活問題であるとして反対があり、また営団地下鉄担当区域帝都高速度交通営団法 第1条営団地下鉄東京都ノ区ノ存スル区域及其ノ附近ニ於ケル交通機関」とされている。)を大きく外れるとの意見があり、路線免許取得難航した京成電鉄オイルショック影響による不動産投資地域開発分野大幅な損失計上したことや、新東京国際空港現・成国際空港)の開港の遅れにより業績悪化させたことに考慮して当時運輸省一時的に計画凍結した1980年昭和55年7月19日運輸省当時)は次のような最終調整案をまとめ、地元提示し了承求めた建設主体第三セクターとし、地元自治体金融機関、関係鉄道事業者がこれに出資する 運営京成電鉄委託する 東西線接続し相互直通運転を行う 工事施工は、日本鉄道建設公団(現・鉄道建設・運輸施設整備支援機構が行工事は、2段階に分けて施工する 最終的に、この案を基本として1981年昭和56年9月1日東葉高速鉄道設立され同社勝田台線建設経営を行うことが決定した。 そして、東葉高速鉄道地方鉄道敷設免許申請したため、営団地下鉄1982年昭和57年2月15日勝田台線路線免許申請取り下げ同年3月19日東葉高速鉄道地方鉄道敷設免許交付された。路線本線部分について日本鉄道建設公団当時)が民鉄方式P線方式)で建設行い完成後に公団から東葉高速鉄道施設譲り受け営業を行うこととされた。計画時点では、東海神飯山満北習志野、西八千代(→八千代緑が丘)、八千代(→八千代中央)、勝田台(→東葉勝田台)の6駅を設置する方針とした。 1984年昭和59年)より建設工事着手し第1期区間となる西船橋 - 八千代(→八千代中央)間は1991年平成3年4月開業第2期区間となる八千代(→八千代中央) - 勝田台(→東葉勝田台)間は1993年平成5年4月開業予定し車両費含めた建設費用は2,091億円(1 km あたり約129億円)を予定していた。 当時地元営団経営による延長主張していたが、結局は第三セクター方式建設されることとなった。この原案1965年頃に本八幡駅 - 船橋市行田団地 - 習志野駅 - 八千代市萱田間を予定経路として行われた地下鉄10号線(現・都営地下鉄新宿線)の千葉県延長調査が元となっている。なお、計画凍結中の運行案として、京成電鉄短絡路線とする計画もあったが、同社がこれを拒否したため実現しなかった。 建設にあたって関係地権者700名、支障建物約180戸であったが、当初より地権者抵抗もあって用地買収難航した当時千葉県収用委員会機能しておらず、土地収用が行えなかったことが拍車をかけた(2001年衆議院国土交通委員会で、山田正彦が「一人反対しただけで三年間延びた」としている)。一例として、地権者300回の用地交渉行ったこともあり、最終的に用地交渉完了したのは1994年平成6年6月であった。 さらに、手抜き工事によるトンネル陥没事故や、バブル期土地高騰のあおりを受けて建設費当初予定はるかに上回る結果となった近年営業収支黒字推移しているが、その黒字額では建設時債務利払いにも足りず経常収支赤字であり、負債額は年々増加している。そのため、東日本旅客鉄道JR東日本)の電車特定区間運賃の約2.5倍となる高額な運賃となっている(「運賃」の節も参照)。この東葉高速鉄道経験が、後の様々な助成制度整備つくばエクスプレス成功つながったと言われている。

※この「設立の経緯と路線建設」の解説は、「東葉高速鉄道」の解説の一部です。
「設立の経緯と路線建設」を含む「東葉高速鉄道」の記事については、「東葉高速鉄道」の概要を参照ください。

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