設立の経緯と路線建設
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「東葉高速鉄道」の記事における「設立の経緯と路線建設」の解説
1972年(昭和47年)3月の答申第15号において、都市計画第5号線(東西線)が、西船橋 - 新船橋付近 - 飯山満 - 北習志野 - 八千代市中央部 - 勝田台を終点とする路線に改められた。営団地下鉄は1974年(昭和49年)3月22日、第5号線「営団勝田台線」西船橋 - 勝田台間(16.2 km)の延伸を正式に決定、同年3月30日に路線免許を申請した。営団地下鉄の計画では1976年(昭和51年)9月20日に建設工事に着手し、1979年(昭和54年)10月の開業を予定、建設費用は955億円を見込んだ。東西線(西船橋以西)とは直通運転を行い、途中の北習志野駅のみ停車する快速列車の運転も予定していた。 営団地下鉄としては、第7号線(南北線)や第13号線(副都心線)の建設の必要性があったが、当時の東京周辺で最も人口の増加が激しかった船橋市、八千代市などが千葉県とともに1973年(昭和48年)5月に「営団地下鉄東西線建設促進協議会」を結成し、「営団勝田台線」の建設陳情を営団地下鉄へ繰り返したことから、建設を決定したものである。しかし、建設に向けた手続きを進めるにあたり、特に沿線で競合関係となる京成電鉄から死活問題であるとして反対があり、また営団地下鉄の担当区域(帝都高速度交通営団法 第1条「営団地下鉄ハ東京都ノ区ノ存スル区域及其ノ附近ニ於ケル交通機関」とされている。)を大きく外れるとの意見があり、路線免許取得は難航した。 京成電鉄はオイルショックの影響による不動産投資・地域開発分野で大幅な損失を計上したことや、新東京国際空港(現・成田国際空港)の開港の遅れにより業績を悪化させたことに考慮して、当時の運輸省が一時的に計画を凍結した。 1980年(昭和55年)7月19日、運輸省(当時)は次のような最終調整案をまとめ、地元に提示し了承を求めた。 建設主体は第三セクターとし、地元自治体、金融機関、関係鉄道事業者がこれに出資する 運営は京成電鉄に委託する 東西線と接続し、相互直通運転を行う 工事の施工は、日本鉄道建設公団(現・鉄道建設・運輸施設整備支援機構)が行う 工事は、2段階に分けて施工する 最終的に、この案を基本として1981年(昭和56年)9月1日に東葉高速鉄道が設立され、同社が勝田台線の建設・経営を行うことが決定した。 そして、東葉高速鉄道が地方鉄道敷設免許を申請したため、営団地下鉄は1982年(昭和57年)2月15日に勝田台線の路線免許申請を取り下げ、同年3月19日に東葉高速鉄道に地方鉄道敷設免許が交付された。路線は本線部分について日本鉄道建設公団(当時)が民鉄線方式(P線方式)で建設を行い、完成後に公団から東葉高速鉄道へ施設を譲り受け、営業を行うこととされた。計画時点では、東海神、飯山満、北習志野、西八千代(→八千代緑が丘)、八千代(→八千代中央)、勝田台(→東葉勝田台)の6駅を設置する方針とした。 1984年(昭和59年)より建設工事に着手し、第1期区間となる西船橋 - 八千代(→八千代中央)間は1991年(平成3年)4月に開業、第2期区間となる八千代(→八千代中央) - 勝田台(→東葉勝田台)間は1993年(平成5年)4月の開業を予定し、車両費を含めた建設費用は2,091億円(1 km あたり約129億円)を予定していた。 当時、地元は営団経営による延長を主張していたが、結局は第三セクター方式で建設されることとなった。この原案は1965年頃に本八幡駅 - 船橋市行田団地 - 習志野駅 - 八千代市萱田間を予定経路として行われた地下鉄10号線(現・都営地下鉄新宿線)の千葉県内延長調査が元となっている。なお、計画凍結中の運行案として、京成電鉄の短絡路線とする計画もあったが、同社がこれを拒否したため実現しなかった。 建設にあたって関係地権者約700名、支障建物約180戸であったが、当初より地権者の抵抗もあって用地買収は難航した。当時、千葉県の収用委員会が機能しておらず、土地収用が行えなかったことが拍車をかけた(2001年の衆議院国土交通委員会で、山田正彦が「一人が反対しただけで三年間延びた」としている)。一例として、地権者に300回の用地交渉を行ったこともあり、最終的に用地交渉が完了したのは1994年(平成6年)6月末であった。 さらに、手抜き工事によるトンネル陥没事故や、バブル期の土地高騰のあおりを受けて、建設費が当初予定をはるかに上回る結果となった。近年の営業収支は黒字で推移しているが、その黒字額では建設時の債務の利払いにも足りず、経常収支は赤字であり、負債額は年々増加している。そのため、東日本旅客鉄道(JR東日本)の電車特定区間運賃の約2.5倍となる高額な運賃となっている(「運賃」の節も参照)。この東葉高速鉄道の経験が、後の様々な助成制度の整備やつくばエクスプレスの成功につながったと言われている。
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