快速列車の運転
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 07:35 UTC 版)
駿遠線は路線長が長いこともあり、路線全通の頃から軽便鉄道には珍しく一部の駅を通過する愛称なしの快速列車が運行されていた。定期列車の快速に加え路線短縮後の1964年(昭和39年)からは、てこ入れとして藤枝 - 大井川間は各駅停車、以遠榛原町までノンストップの海水浴客向けの夏季臨時快速が運行され、「さざなみ」の愛称がつけられた。これらの快速は1967年(昭和42年)10月に全て廃止されている。 快速列車の運転開始は1956年(昭和31年)11月で気動車を使用し、新藤枝 - 地頭方間で1日6本であった。1958年(昭和33年)10月からは新藤枝 - 新袋井間で全線直通の快速列車の運行が始まり、上下各1本の直通快速列車の他、下り快速は相良 - 新袋井間に1本(新藤枝 - 相良間は各駅停車)、新藤枝 - 地頭方間に3本が、上り快速は新袋井 - 新三俣間に2本、地頭方 - 新藤枝間に1本(新袋井 - 地頭方間は各駅停車)、相良 - 新藤枝間に1本が運行された。下り直通快速は所要2時間17分、上りの直通快速は所要2時間12分(表定速度27.6km/h)で、後者は駿遠線全線で史上最速の列車だった。しかしこの全線直通快速は、わずか1年ほどで廃止されている。 1960年(昭和35年)には普通列車を追い越す上り快速の運行が始まり、新袋井 - 新三俣間2本、地頭方 - 新藤枝間1本、相良 - 新藤枝間2本が運行され、うち3本で普通列車を追い越すダイヤが組まれていた。また下りの快速は新藤枝 - 地頭方間で4本(うち3本は相良から各駅停車)、新三俣 - 新袋井間で2本が運行された。所用時分は最速の列車で下り新藤枝 - 地頭方間で66分(相良で3分30秒停車)、上り地頭方 - 新藤枝間で64分(表定速度26.2km/h)だった。しかし2年後には減便に加え普通列車の追い越しもなくなり、1964年(昭和39年)の路線短縮後は新藤枝 - 堀野新田間に朝上り・夕方下り1本、三俣 - 新袋井間では朝上り1本の運行となった。 夏季臨時快速「さざなみ」は夏季の海水浴シーズンにのみ運行される臨時快速で、気動車2両が数両の客車を挟む長大編成が使用された。駿遠線の気動車の大半は総括制御のできない機械式だったため、各車に運転士が乗務し、警笛を合図にして運転操作を行っていた。またダイヤ上では、1967年(昭和42年)は最初から臨時列車のスジが設定されていた「予定臨」であり、運転日は他の定期列車の時刻変更が行われるなど、当時の国鉄並みの運用がなされていた。 駿遠線ではこれらの快速列車に小型ながらも立派なヘッドマークを用意し、専用のサボ(行先の上段に青字で『快速』と表示)も使用していた。またホーム停車中は列車の後端の脇にも「快速」の案内立て看板を掲示しており、このような例も他の軽便鉄道では見られないものであった。
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