京浜東北線・根岸線
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「国鉄103系電車」の記事における「京浜東北線・根岸線」の解説
山手線に引き続き、1965年からは京浜東北線への103系の投入が開始された。蒲田電車区、浦和電車区、下十条電車区に順次配置され、旧性能車が順次置き換えられた。車体塗装はスカイブルー(青22号)が初めて採用された。 当初は8両編成であったが、10両編成化が念頭に置かれていた。下十条電車区では検車庫の長さが8両分しかなく、10両編成を7両と3両に分けて検査を行うこととなり、クモハ103形とクハ103形500番台が登場している。 1970年からは101系も転入し、1971年までに京浜東北線の新性能化が完了した。根岸線は桜木町 - 磯子間の開通とともに横浜 - 桜木町間が編入され、1970年に磯子 - 洋光台間が、1973年に洋光台 - 大船間が延伸されて全通し、大宮 - 大船間での直通運転が開始された。1976年からの103系追加投入により101系は武蔵野線に転出し、京浜東北線の全車両が103系となった。 山手線と同じく京浜東北線にもATCが導入されるのに伴い、1974年より高運転台のATC車の投入が開始された。10両貫通編成も登場したほか、7両+3両の編成は6両+4両に組み替え、先頭に出る両端の先頭車がATC車となった。1981年に大宮 - 蒲田間で、1984年に蒲田 - 大船間でのATC運転が開始された。 1986年のダイヤ改正より、京浜東北線の車両の所属は浦和電車区に集約された。 国鉄分割民営化ではJR東日本に継承された。1988年3月のダイヤ改正より、日中の田端 - 田町間で快速列車の運転が開始された。1989年には205系の10両編成4本が京浜東北線に配置され、捻出された103系は京葉線に転出した。 1992年には新系列車両の試作車である901系が京浜東北線に投入され、翌1993年からは209系として量産が開始された。209系の増備に伴って205系も他線区に転出し、京浜東北線の103系は1998年3月13日に運転を終了した。
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京浜東北線・根岸線
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「国鉄205系電車」の記事における「京浜東北線・根岸線」の解説
京浜東北線・根岸線では1989年秋に4本が、翌1990年秋に2本が投入されている。このうち、前者4本は京葉線、武蔵野線に転用した103系の代替と後者2本は老朽車置換用である。103系とともに水色(■青24号)の帯をまとって1989年10月26日より最大6本が運用されていたが、埼京線延伸用に使用することから本系列で最も早く1996年2月1日をもって撤退している。編成は10両編成(TcMM'TMM'TMM'Tc')、配置は浦和電車区であった。 209系投入に伴い1993年4月ダイヤ改正時に3本が横浜線と中央・総武緩行線へ転属、その後1996年3月ダイヤ改正に合わせて3本が埼京線へ転属した。本系列を投入した路線で一番早い1996年春までに撤退した。なお、2001年以降の大転配とは直接関係がない。最後まで残ったウラ91編成(ウラ4→ウラ81編成からの改番。Tc107ほか10連・後のハエ28編成)は特製ヘッドマークを掲出してのさよなら運転を行った。この編成は1991年度のウラ4編成時代に、山手線用車両のサハ204形連結対応改造工事による編成不足を補うため、山手電車区に貸し出されて暫定ヤテ35編成として運用されていた時期があった。 ← 大宮 大船 → 号車10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 形式クハ205(Tc) モハ205(M) モハ204(M') サハ205(T) モハ205(M) モハ204(M') サハ205(T) モハ205(M) モハ204(M') クハ204(Tc')
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