京浜線開業時の大失態
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/24 16:59 UTC 版)
「国鉄デハ6340系電車」の記事における「京浜線開業時の大失態」の解説
「東京駅の歴史#開業と初期のトラブル」も参照 1914年(大正3年)12月18日に東京駅が開業したのを機に、12月20日から東京 - 高島町間に本系列を使用して電車が運転されることとなった。この開業日は、建設工事とは全く関係ない要因により設定されたもので、12月18日に東京駅の開業式典を行い、青島攻略戦の凱旋将軍神尾光臣中将を品川に出迎えて東京へ送り、貴族院と衆議院の議員らを東京から横浜まで試乗させる手筈であった。 東京 - 品川間については、既に電化されていた区間であり、何の問題も生じなかったが、品川以西の新線区間に乗り入れた途端に架線事故が続発することとなった。東京を出発した最初の電車ばかりか、その次もそのまた次の電車も横浜に到着しないということで、関係者を向かわせたところ、一番電車は子安付近で、その次の電車は大森 - 蒲田間でいずれもパンタグラフを架線に引っ掛け、運転不能になっているのが確認された。横浜行きの一番電車が目的地に到達するのに2時間あまりを要したという。翌日、鉄道院総裁(仙石貢)名で新聞に謝罪文が掲載された。 原因は、突貫工事により路盤の地固めが不十分であったこと。その上を走行する重量級の電車が大きくローリング(横揺れ)したり、曲線区間における架線の張り方の不備によりパンタグラフが架線から外れ、架線との接触部をローラーとしたパンタグラフの押し上げ力不足により復帰に時間がかかり、アークが発生して架線が切断されたことなどであった。 京浜線は12月26日をもって運行を中止し、不具合を是正することとなった。この改修には約4か月を要し、運行が再開されたのは翌1915年(大正4年)4月10日のことであった。これにより、本系列のローラー式パンタグラフを通常のシュー式に交換している。
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