規制緩和による再生
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「アメリカ合衆国の鉄道史」の記事における「規制緩和による再生」の解説
鉄道業界で利益を上げられるのが、ほんの一握りの大規模な鉄道会社だけになってしまったという現状を受けて、合衆国議会は1980年にスタガーズ鉄道法を可決した。それまで鉄道の運賃は州際通商委員会の監督を受けており、事前の認可が無ければ変更することができなかった。スタガーズ鉄道法では、依然として州際通商委員会の監督自体は残したものの運賃の設定を大幅に自由化し、大口の荷主に対して割引を提供したり、逆に経費を割り込んでいる輸送に対して一方的に運賃の値上げをしたりできるようになった。それまで公表された運賃表に基づく輸送しかできなかったのが、荷主との個別契約に基づいて輸送を請け負うことができるようになったのである。これにより、空車の返却回送時に格安で輸送を請け負ったり、長期の安定契約を獲得したりするようになった。提供される輸送サービスの質も高まり、荷主にとってもおおむね満足であるとの調査結果が出ている。スタガーズ鉄道法は鉄道業界の再生につながる最初の法律であった。 ロナルド・レーガン政権はアムトラックに対して厳しく、補助金に頼らずに鉄道は自立すべきであるとしていた。議会も、少なくともアムトラックは費用の半額を運賃収入で賄えなければならないとしていた。1986会計年度の予算案では、当時の運輸長官のエリザベス・ドールがアムトラックへの補助金全額削減を表明した結果、議会内外で大論争を巻き起こした。こうした補助金削減提案は再三繰り返されたが、議会や世論の影響もあって結局補助金の投入は続けられた。さらにアムトラックが自助努力を続けた結果、1992年には経費に占める運賃収入の割合は79パーセントに達した。これは世界中の旅客鉄道の中でもかなり良好な部類である。 しかし1990年代に入ると再びアムトラックの経営状況は悪化し、利益の上がらない列車の運行中止や、毎日運行であった列車の曜日限定運行への変更などが行われた。1982年には、ペン・セントラル鉄道から引き継いだメトロライナーを当初の電車編成から電気機関車牽引のアムフリート客車に置き換えた。トイレからの汚物垂れ流しに対する環境規制が強められたことや、東部で運行されていた客車の老朽化が限界に達したこともあり、東部で運行できる新型客車としてビューライナーの導入が進められた。 一方コンレールに関しては、労働条件について組合を説得し、また石炭や穀物、インターモーダル輸送に経営資源を集中させることで、1983年末には利益を出せる状態まで経営が回復した。ノーフォーク・サザン鉄道はコンレールを買収しようと交渉したが、コンレールの経営陣や組合、ライバルのCSXトランスポーテーションなどに反対され、結局1987年に株式は公開で売却された。1990年代には再びコンレールの経営状況が悪くなり、ノーフォーク・サザン鉄道とCSXトランスポーテーションがコンレールを巡って争い始めた。結局政府の陸上交通委員会(英語版)と両社は1997年に、コンレールを分割して両社が吸収することで合意した。CSXトランスポーテーションが旧ニューヨーク・セントラル鉄道の路線を中心に、ノーフォーク・サザン鉄道が旧ペンシルバニア鉄道の路線を中心に継承することになり、1999年6月1日に分割・吸収が実施された。 他の鉄道会社についても、1995年にはバーリントン・ノーザン鉄道とアッチソン・トピカ・アンド・サンタフェ鉄道が合併してバーリントン・ノーザン・サンタフェ鉄道となり、後に社名を変更してBNSF鉄道となった。1996年にはユニオン・パシフィック鉄道がサザン・パシフィック鉄道を合併した。イリノイ・セントラル鉄道も1999年にカナディアン・ナショナル鉄道に買収され、こうしてアメリカ合衆国で規模の大きな鉄道会社である一級鉄道は、ユニオン・パシフィック鉄道、BNSF鉄道、CSXトランスポーテーション、ノーフォーク・サザン鉄道、カンザス・シティ・サザン鉄道と、カナディアン・ナショナル鉄道およびカナダ太平洋鉄道のアメリカにおける子会社だけとなった。一方、1887年以来鉄道を規制する組織として続いてきた州際通商委員会は、1980年のスタガーズ鉄道法によって実質的に規制権限を骨抜きにされた状態となっていたが、1995年の廃止法制定により廃止となり、翌1996年から陸上交通委員会が鉄道の規制を担うことになった。 こうした大規模な合併と規制緩和、そして技術革新により、アメリカの鉄道は他の輸送手段に奪われた貨物を再び取り返してきている。かつてのような輸送における独占状態はもう存在しないが、特にばら積み貨物を特定の2地点間で輸送するためには今でも鉄道は最適な手段である。さらにコンテナを2段積みにして輸送するダブルスタックトレインが、アジアからの輸入物資を西海岸の港で揚陸して東部の都市まで運ぶために、大陸横断鉄道で運行されるようになっている。北米自由貿易協定 (NAFTA) の締結によりカナダやメキシコとの貿易も盛んになり、南北方向での輸送も増加している。 技術的には、転がり軸受を装備した貨車がほとんどになったことで軸焼けの問題がほとんど発生しなくなり、列車末尾に連結したカブースに車掌や制動手が乗務しながら貨車の状態を監視している必要がなくなった。このため1980年代にはフラッシング・リア・エンド・デバイスが導入されて、列車末尾であることを示す灯火を貨車に取り付けるだけになり、アメリカの鉄道の特徴の1つであったカブースの連結はほとんど廃止された。車掌は代わりに機関車に機関士と一緒に乗務するようになった。また1990年代になるとブレーキが電子制御式の自動空気ブレーキに置き換えられるようになり、電気信号ですべての貨車のブレーキを同時に操作できるようになったことから、先頭と末尾でのブレーキが作用する時間差をなくすことができ、停車までの距離も大きく短縮することができるようになった。 1999年春に、メトロライナーに代わる高速鉄道として北東回廊に投入されるアセラ・エクスプレスが発表された。アセラ・エクスプレスはTGVをベースにしたボンバルディア・トランスポーテーション製の車両を使用して、最高速度150マイル毎時 (240 km/h) でボストンとニューヨークを約3時間で、ニューヨークとワシントンD.C.を約2時間45分で結び、航空機から旅客を奪還することを目指して投入された。アセラ・エクスプレスは2000年12月11日に営業運行が開始された。アセラ・エクスプレスはメトロライナーを次第に置き換えていき、2006年10月27日限りでメトロライナーの運行は終了した。 バラク・オバマ政権の下、2009年に2009年アメリカ復興・再投資法が制定され、これに基づいて高速鉄道への投資をする方針が決定された。連邦鉄道局では、全米各地での高速鉄道建設に関する戦略計画を提案している。
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