規制緩和と三つ巴の旅客争奪戦
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「仙台 - 山形線」の記事における「規制緩和と三つ巴の旅客争奪戦」の解説
2000年前後から、仙台市と福島市との間の旅客運輸で、既存高速バス共同運行グループ、JR東日本、そして規制緩和に伴う新規参入の富士交通(のちの帝産富士交通)の3者による三つ巴の旅客争奪戦が繰り広げられた。 2003年(平成15年)12月、仙台 - 福島で富士交通が桜交通と共同運行を開始すると、輸送力に余裕の出た富士交通が、仙台 - 山形間でも2004年(平成16年)2月から運行開始すると表明。対抗して既存共同運行グループが2004年(平成16年)1月から大幅増便し、JR仙山線を含めた3者による熾烈な運賃値下げ・増便競争が仙台 - 山形間でも始まった。 この2路線の旅客争奪戦により東北地方の陸上交通は再編され、仙台を中心とした高速バス路線網が整備されて仙台経済圏が拡大し、広瀬通一番町バス停があるぶらんどーむ一番町はブランド街化が進んだ。 両路線での消耗戦により、富士交通が同年8月23日に民事再生法の適用を申請、同年11月9日を最後に仙台 - 山形間の運行から撤退した。それに伴い仙台 - 福島間では最盛期の半分以下の便数にまで落ち込んだが、仙台 - 山形間は既存共同運行グループによる増便が推し進められ、現在では旅客争奪戦が繰り広げられた時代よりも多くの便数が設定されている。 既存共同運行グループでは定期券も販売されており、通勤・通学路線、ショッピング・観光路線として仙山線の利用客を奪い、仙山線は仙台駅 - 愛子駅間の近郊輸送主体のダイヤとなった[要検証 – ノート]。
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