裁判での陳述など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 08:16 UTC 版)
生き残った3人への公訴は、嘱託殺人、傷害、監禁致傷、暴力行為、職務強要など刑事訴訟法の枠内の外形的なものに留まり、改憲論議については、法廷自体意見を左右し、支援団体(全国学協、日本青年協議会、11・25義挙正当裁判要求闘争実行委員会など)が三島の論文『問題提起』を提出したにもかかわらず、弁護団も「現行憲法の批判は司法裁判所の関与するところではない」として証拠物件とはしなかった。 大越護弁護人は最終弁論で、「国家のためにする緊急救助の法理」の適用を主張したが、櫛淵理裁判長は、「国家公共機関の有効な公的活動を期待しえないだけの緊急な事態が存在していたとは到底認められない」として被告らは懲役4年の実刑となった。なお、被告らの裁判中の陳述などは以下のものである。 小賀正義 「いまの世の中を見たとき、薄っぺらなことばかり多い。真実を語ることができるのは、自分の生命をかけた行動しかない。先生(三島)からこのような話を聞く以前から、自分でもこう考えていた。憲法は占領軍が英文で起草した原案を押しつけたもので、欺瞞と偽善にみち、屈辱以外のなにものでもない。(中略)日本人の魂を取戻すことができるのではないかと考え、行動した。しかし、社会的、政治的に効果があるとは思わなかった。三島先生も『多くの人は理解できないだろうが、いま犬死がいちばん必要だということを見せつけてやりたい』と話されていた。われわれは軍国主義者ではない。永遠に続くべき日本の天皇の地位を守るために、日本人の意地を見せたのだ」 「天皇の地位は、天皇が御存在するが故に、歴史的に天皇なのであって、大統領や議員を選ぶように多数決で決まるものではないのです。菊は菊であるからこそ菊なのであって、どのようにしてもバラにすることはできないのと同様に、天皇を選挙やそれに類するもので否定することはできないのです。それなのに(国民の)『総意に基づく』とあるのは現行憲法が西洋の民主概念を誤って天皇に当てはめ、天皇が国民と対立するヨーロッパの暴君のように描き出したアメリカ占領軍の日本弱化の企みです。それ故、現行憲法を真に日本人と自覚するならば黙って見過ごすわけにはできないはずです。三島先生と森田大兄の自決は、この失われつつある大義のために行なった至純にして至高、至尊な自己犠牲の最高の行為であります。『死』は文化であるといった三島先生の言葉は、このことを指していたのではないかと思います」 小川正洋 「自衛隊が治安出動するまでの空白を埋めるのが、楯の会の目的だった。国がみずからの手で日本の文化と伝統を伝え、国を守るのを憲法で保障するのは当然である」 「三島先生の『右翼は理論でなく心情だ』という言葉はとてもうれしいものでした。自分は他の人から比べれば勉強も足りないし、活動経験も少ない。しかし、日本を思う気持だけは誰にも負けないつもりだ。三島先生は、如何なるときでも学生の先頭に立たれ、訓練を共にうけました。共に泥にまみれ、汗を流して雪の上をほふくし、その姿に感激せずにはおられませんでした。これは世間でいう三島の道楽でもなんでもない。また、文学者としての三島由紀夫でもない。(中略)楯の会の例会を通じ、先生は『左翼と右翼との違いは“天皇と死”しかないのだ』とよく説明されました。『左翼は積み重ね方式だが我々は違う。我々はぎりぎりの戦いをするしかない。後世は信じても未来は信じるな。未来のための行動は、文化の成熟を否定するし、伝統の高貴を否定する。自分自らを、歴史の精華を具現する最後の者とせよ。それが神風特攻隊の行動原理“あとに続く者ありと信ず”の思想だ。(中略)武士道とは死ぬことと見つけたりとは、朝起きたらその日が最後だと思うことだ。だから歴史の精華を具現するのは自分が最後だと思うことが、武士道なのだ』と教えてくださいました。(中略)私達が行動したからといって、自衛隊が蹶起するとは考えませんでしたし、世の中が急に変わることもあろうはずがありませんが、それでもやらねばならなかったのです」 古賀浩靖 「戦後、日本は経済大国になり、物質的には繁栄した反面、精神的には退廃しているのではないかと思う。思想の混迷の中で、個人的享楽、利己的な考えが先に立ち、民主主義の美名で日本人の精神をむしばんでいる。(中略)その傾向をさらに推し進めると、日本の歴史、文化、伝統を破壊する恐れがある。(中略)この状況をつくりだしている悪の根源は、憲法であると思う。現憲法はマッカーサーのサーベルの下でつくられたもので、サンフランシスコ条約で形式的に独立したとき、無効宣言をすべきであった」 「現実には、日本にとって非常にむずかしい、重要な時期が、曖昧な、呑気なかたちで過ぎ去ろうとしており、現状維持の生温い状況の中に日本中は、どっぷりとつかって、これが、将来どのような意味を持っているかを深く、真剣に探ることなく過ぎ去ろうとしていたことに、三島先生、森田さんらが憤らざるを得なかったことは確かです」 「狂気、気違い沙汰といわれたかもしれないが、いま生きている日本人だけに呼びかけ、訴えたのではない。三島先生は『自分が考え、考え抜いていまできることはこれなんだ』と言った。最後に話合ったとき、『いまこの日本に何かが起こらなければ、日本は日本として立上がることができないだろう、社会に衝撃を与え、亀裂をつくり、日本人の魂を見せておかなければならない、われわれがつくる亀裂は小さいかもしれないが、やがて大きくなるだろう』と言っていた。先生は後世に託してあの行動をとった」 大越護弁護人 「まれにみる鋭敏な頭脳の持主である三島の脳裏には、この美しい日本が、ガラガラと音をたてて崩れてゆく姿が、捉えられていたに違いない。三島の畢生の大作『豊饒の海』これと同名の月の海は、その名の華麗さに似ず、死の海であり、廃墟の世界である。これと同様、三島の脳裏には、経済的には益々豊かになる日本が、精神的には月の海のように荒廃してしまうのが映っていた。われわれは、その危機の一つを最近、連合赤軍の事件で示された。あの事件こそ、道義が根底から失われていることを、最も端的に示すものである。三島の親友である村松剛は、その著書『三島由紀夫―その生と死』に、『日本人は繁栄のぬるま湯につかり、氏の頼みとしていた自衛隊も、当にはならなかった。どうしたらこの事態を動かし得るか、氏は死をもって諌める道を選んだ』と書いている。こうして、三島と森田は、割腹自決をし、社会を覚醒させようとした」
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