裁判での証言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 07:21 UTC 版)
八鹿高校事件刑事裁判の第12回公判(1977年5月6日)の証人として喚問された兵庫県豊岡警察署の巡査部長(当時八鹿警察署鑑識係巡査長)は、こう証言している。 出動の命令をうけ、証人(私服)はカメラを携帯して急行した。立脇履物店へ60メートルの所で車が動けなくなり、同僚2人を先におろし西村薬局駐車場に車をあずけて現場へ走った。前方では解放車の上で男が叫んでいた。証人は10時6、7分ごろ、人垣の後からカメラをさしあげて写真をとった。集団は大声をあげて西(高校の方)へと移動している。差別者、殺せ! と叫んでいた。緑色の服(行動隊ユニフォーム)やゼッケンから同盟員であることがわかった。前方から背広の先生がO巡査に助けられながら歩いてきた。顔面は血だらけでよろよろしている。「大変なことだ」と判断して集団のすぐ後に接近、2枚撮影した。フィルムがきれたので附近の店に入って装てんする。林マーケットの前を5、60名の者が一団となって西へ進んでいた。シャツを後にだした先生が、左右から腕をとられ、小突かれ、背後から押されて連行されている。この時、逆方向から走ってきた男が下腹部にこぶしを固めて一撃を加え、さらに往復ビンタをくらわし、膝をついたところを他の者が持ちあげて地面へ落とした。これはY教諭であることがあとでわかった。道の向こう側の同盟員に写真をとるところを見つけられ、「差別者がいるぞ!」「やっちまえ!」のかけ声で十数人に囲まれ、もみくちゃにされた。盗られると、とっさに感じてカメラをポケットに隠した。K署長らが「これは警察官だ!」と制止したので助かったが、しばらくは方向感覚を失った。林マーケットの西側角にくると、トラックが停車していて、数名の同盟員が上っていた。連行される先生が「イチ、ニイ、サーン」と荷台へ投げこまれた。
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