東條の国家弁護
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「戦争は裕仁天皇の意思であったか?」の尋問に対し 「ご意思に反したかも知れぬが、わが内閣及び軍統帥部の進言により、渋々同意なさったのが本当であろう。そのご意思は開戦の詔勅の『止ムヲ得サル事朕カ志シナラス』のお言葉で明白である。これは陛下の特別な思し召しで、我が内閣の責任に於いて入れた言葉である。陛下は最期の一瞬まで、和平を望んでおられた。この戦争の責任は、私一人にあるのであって、天皇陛下はじめ、他の者に一切の責任はない。今私が言うた責任と言うのは、国内に対する敗戦の責任を言うのであって、対外的に、なんら間違った事はしていない。戦争は相手がある事であり、相手国の行為も審理の対象としなければならない。この裁判は、勝った者の、負けた者への報復と言うほかはない」 とアメリカの戦争犯罪を糾弾した。 東條は東京裁判を通して自己弁護は行わず、この戦争は侵略戦争ではなく自衛戦争であり国際法には違反しないと「国家弁護」を貫いたが、「敗戦の責任」は負うと宣誓口述書で明言している。東條の主任弁護人は清瀬一郎が務め、アメリカ人弁護士ジョージ・ブルーウェットがこれを補佐した。 東條の国家弁護は理路整然としており、アメリカ側の対日戦争準備を緻密な資料に基づいて指摘し、こうしたアメリカの軍事力の増大に脅威を感じた日本側が自衛を決意したと巧みに主張するなどして、キーナンはじめ検事たちをしばしばやり込めるほどであった。また「開戦の責任は自分のみにあって、昭和天皇は自分たち内閣・統帥部に説得されて嫌々ながら開戦に同意しただけである」と明確に証言し、この証言が天皇の免訴を最終的に確定することになった。 日暮吉延によれば、他の被告の多くが自己弁護と責任のなすり合いを繰り広げる中で、東條が一切の自己弁護を捨てて国家弁護と天皇擁護に徹する姿は際立ち、自殺未遂で地に落ちた東條への評価は裁判での証言を機に劇的に持ち直したとする。 秦郁彦によると、東條にとって不運だったのは、自身も一歩間違えればA級戦犯となる身の田中隆吉や、実際に日米衝突を推進していた服部卓四郎や有末精三、石川信吾といった、いわゆる『戦犯リスト』に名を連ねていた面々が、すでに連合国軍最高司令官総司令部に取り入って戦犯を逃れる確約を得ていたことであった。
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