東條の首班指名とは? わかりやすく解説

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東條の首班指名

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:23 UTC 版)

木戸幸一」の記事における「東條の首班指名」の解説

開戦の是非を巡る近衛陸海軍との軋轢と、日米交渉行き詰まりによって第3次近衛内閣1941年昭和16年10月総辞職した後継候補としては、陸軍将官でもあった東久邇宮稔彦王による皇族内閣東條含めた広い支持集めており、近衛もこの案を昭和天皇奏上した。ところが天皇は「若し皇族総理の際、万一戦争が起こると皇室開戦責任を採る事となるので良くないと思つた」ために否定的であった。そこで内大臣室にて辞表提出後近衛後継について密談した木戸は、及川古志郎海相東條英機陸相の名を挙げるも、及川では陸軍陸相出さないだろうと反論される。こうして後継候補決定に最も影響力有する2人の間では東條指名固まった同月17日宮中開かれた重臣会議において、林銑十郎から東久邇宮出馬求める声が挙がった。これに対し、「万一皇族内閣決定が、開戦ということになった場合考えると、皇室をして国民怨府たらしむる恐れなきにあらず」と述べ反対した木戸東條推す。すると若槻禮次郎には、東條では外国対す印象悪くなる木戸考えは「やけのやん八ではないか、と反論された。かといって及川では陸軍同意得られぬと、海軍出身岡田啓介米内光政述べると、代わり宇垣一成であっても同様と阿部信行発言した。他にこれといった人物挙がらぬ中、最終的に阿部広田弘毅原嘉道からの賛同得た木戸は、その日午後に天皇東條後継内閣首班とすることを奉答した。 木戸東條推挙した理由としては様々な説唱えられてきた。木戸戦後になって当時既に対米戦争開戦敗北必至であるとみており、皇族開戦時首相では問題になると考えた述べている。「対米開戦主張する陸軍抑えるには現役陸軍大臣実力者である東條を使うしかなく、また東條昭和天皇対す忠誠心は非常に強いので、首相になれば天皇意向沿って開戦反対に全力尽くしてくれるだろう」との考慮があったとされることも多い。昭和天皇も東條の首班指名を聞いて虎穴にいらずんば虎子得ずだね」とコメントしていることもこの説の傍証となっている。 木戸日米戦争焦点となった支那駐兵問題について、撤兵には絶対反対姿勢をとっており、同じく陸軍統制派杉山元参謀総長東條英機陸軍大臣とは連帯関係にあった

※この「東條の首班指名」の解説は、「木戸幸一」の解説の一部です。
「東條の首班指名」を含む「木戸幸一」の記事については、「木戸幸一」の概要を参照ください。

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