開戦の詔勅(現代文)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 00:44 UTC 版)
天の助けを保有し万世一系の皇位を継承している大日本帝国天皇は、明らかに忠誠勇武なあなたたち国民に示す。 我はここに米国及び英国に対して戦いを宣言する。我が国の陸海将兵は全力を奮って交戦に従事し、我が国の官僚や役人は励んで精を出し職務を執行し、我が国民は各々その本分を尽し、全国民が一つになり国家の総力を挙げて戦争の目的を達成することに手落ちがないよう心構えしなさい。 そもそも、東アジアの安定を確保することにより世界の平和に寄与することは、立派な祖父(明治天皇)から立派に受け継いだ父(大正天皇)の作述した遠大な計画であって、我がうやうやしくそのままにしておかなかったことで、そうして列国との友好を厚くし全世界が共に栄える喜びを共有することは、これはまた帝国が常に国交の重要な意義としているところである。今や不幸にして米英両国と不和を招くに至った。まことに止むをえないものがあり、どうして我が望むところであろうか。中華民国政府は先に帝国の真意を理解せず、みだりに事を荒立て東アジアの平和を攪乱し、ついに帝国の武力に訴えるに至らしめ、そして四年有余が経った。幸いに国民政府が新しくなることになった。帝国はここと隣国の友好関係を結びお互い提携するに至ったが、重慶に残存する政権は米英の助けを願って兄弟なおいまだ内輪で争うことを悔い改めない。米英両国は残存政権を支援して東アジアの禍乱を助長し平和の美名に隠れて東洋制覇の分不相応の大きな望みを強くしている。事もあろうか同盟国を誘い、帝国の周辺において武力を増強して我に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与え、ついに経済断交をあえて行い、帝国の生存に重大なる脅威を加えた。我は政府を通じ事態を平和の内に回復させようとし我慢し続けてきたが、彼らは全く交譲の精神がなく無駄に時局の解決を長引かせ、この間かえって益々経済上軍事上の脅威が増大し、それにより我を屈従させようとした。このようにして推移したが、東アジアの安定に関する帝国の積年の努力はことごとく水泡に帰し、帝国の存立はまた正に大きな危険にさらされた。こと既にここに至る帝国は、今や自存自衛のため蹶然と立ち上がり一切の障害を破砕するほかない。 歴代天皇の神霊上にある。 我はあなたたち国民の忠誠勇武を信頼し、歴代天皇の遺業を押し広め、速やかに禍根を取り除き、東アジアの永遠の平和を確立し、これにより帝国の光栄を保全することを期待する。 ウィキソースに米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書の原文があります。 12月8日午前7時のニュース(音声は後に再度収録されたもの)。臨時ニュースとは言っているが、毎朝7時の定時のニュースで、午前6時発表の大本営陸海軍部発表を1時間遅れて伝えた。 Ogg Vorbis この音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。 同12月8日、真珠湾攻撃後に、米英両国に対して『開戦の詔勅』が発され、宣戦布告がなされた。
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