開戦の頃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 01:57 UTC 版)
「レニングラード包囲戦」の記事における「開戦の頃」の解説
開戦前バルト艦隊司令長官ウラジーミル・トリブツ海軍中将はドイツ人労働者の退去と国境での偵察情報からドイツ軍の侵攻を察知しモスクワの海軍人民委員ニコライ・クズネツォフ提督に戦闘警戒命令の発令を迫った。その日のうちにバルト艦隊、黒海艦隊、北洋艦隊に第2種戦闘警戒命令が発令されたがトリブツの求めた第1種戦闘警戒命令は拒否された。1941年6月22日にようやく国防人民委員から独ソ国境付近に布陣していたソ連軍に第1種戦闘警戒命令が発令されたがすでにドイツ軍の侵攻ははじまっていた。バルト地域を防衛する北西方面軍は3方面軍の中で最も弱く、その戦力は3個軍、2個機械化軍団に過ぎなかった。西ドヴィナ川の橋梁爆破を命じられた第11軍は爆破する間もなく後退し、北西方面軍司令部は通信の体系的な混乱と戦力不足から組織的な反撃を実施出来なかった。
※この「開戦の頃」の解説は、「レニングラード包囲戦」の解説の一部です。
「開戦の頃」を含む「レニングラード包囲戦」の記事については、「レニングラード包囲戦」の概要を参照ください。
- 開戦の頃のページへのリンク