開戦の状況とは? わかりやすく解説

開戦の状況

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 15:32 UTC 版)

レパントの海戦」の記事における「開戦の状況」の解説

連合艦隊側では総司令官ドン・フアン小舟で各艦に激励まわっていた。 天候快晴。東からの微風吹きオスマン艦隊にやや有利な状況である。 連合艦隊右翼ドーリア艦隊71隻を中心に107隻、左翼ドン・フアン(ヴェニエルコロンナらが配下)の艦隊89隻を中心に114隻、左翼後方アゴスティーノ・バルバリーゴ艦長ヴェネツィア元首アゴスティーノ・バルバリーゴとは別人)の艦隊55隻、後衛にはサンタ・クルス30隻が控えている。 オスマン艦隊右翼マホメッド・シャルークシロッコ艦隊60隻、左翼クルチ・アリ・パシャ(ウルグ・アリ。本名はジョヴァンニ・ガレーニといい、南イタリア出身キリスト教徒であったが、イスラム改宗艦隊100隻、中央がメジンザード・アリ・パシャ(トルコ語版)(アリ・パシャ)の直属艦隊93隻。さらに後衛22隻がいる。

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開戦の状況

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/23 14:33 UTC 版)

大物崩れ」の記事における「開戦の状況」の解説

6月4日神呪寺にいた赤松政祐晴元方に内応して高国宗軍を背後から攻撃したため、勝敗決した赤松政祐以前から父・赤松義村の仇を討つために宗を狙っていたのである。政祐は出陣する前から堺公方足利義維密かに質子を送って裏切り確約していた。この赤松軍の寝返り細川軍の動揺もたらし浦上に従っていた「赤松旧好の侍、吾も吾も神呪寺の陣へ加わり」(『備前軍記』)と寝返り誘発したそのような状況赤松軍が中嶋高国陣営奇襲すると、それに呼応して三好軍が攻撃しかけたので、宗を始め侍所所司代松田元陸伊丹国扶薬師寺国盛・波々伯部兵庫助・瓦日向守主だった部将戦死した中嶋野里川は死人埋まり、「誠に川を死人にて埋めてあたかも塚のごとく見ゆる、昔も今も末代もかかるためしはよもあらじ人々申也」(『細川両家記』)と書かれるほどの敗戦であった三好元長前線出てくる「中嶋の戦い」からの2ヶ月間こそ膠着状態に陥ったものの、それまで細川浦上連合軍連勝重ねて戦意高く、有利であった。だが、新たに参戦した赤松政祐には細川浦上連合軍背後西宮方面)から、続いて正面天王寺方面)の三好軍からも攻撃されたことによって打撃受けた。 この結果それまで膠着状態から戦局崩れて高国滅亡つながった。そこから地名あいまって大物崩れ」と呼ばれるようになった

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