著名な日本のフリーメイソン
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「日本のフリーメイソンリー」の記事における「著名な日本のフリーメイソン」の解説
西周(1829年生、1864年10月入会) - 思想家、貴族院議員。 津田真道(1829年生、1864年11月入会) - 思想家、貴族院議員。西周とは明六社の同士。 坂本龍馬(1836年生) - 江戸時代末期の志士、土佐藩郷士。 林董(1850年生、1903年2月入会) - 香川県知事、 兵庫県知事、第19代逓信大臣、第21代外務大臣等を歴任。1903年5月、マスターメイソン昇級(raised)。幣原喜重郎はロンドン滞在中に林董からメイソンの精神を探求していた。幣原はロンドンでメイソンリーに入会したかったが、その前にロンドンから異動することになった。幣原は友愛精神を有する社会的平等の実現が第二次大戦後の日本においてマッカーサーにより支援されていることに感激し、日本人が自由を手にすることを期待していた。 後藤新平(1857年生) - 初代南満州鉄道総裁、第18代・第20代逓信大臣、第34代・第39代内務大臣、第33代外務大臣、第7代東京市長。 高橋龍太郎(1875年生) - 大日本麦酒社長、第6代通商産業大臣、プロ野球球団イーグルスと高橋ユニオンズのオーナー。 河井彌八(1877年生) - 第4代参議院議長。1955年のフリーメイソン第2・第3階級昇進は鳩山一郎と同時期であった。 佐藤尚武(1882年生) - 第54代外務大臣、第二次世界大戦末期の駐ソビエト連邦大使、第2・3代参議院議長。 鳩山一郎(1883年生、1951年3月29日入会) - 第40代文相(1931年-1934年)、滝川事件の処理。初代自由民主党総裁(1956年)、第52・53・54代内閣総理大臣(1954年-1956年)。公けに友愛を推進した。彼が1953年に設立した友愛青年同志会は、1954年に「友愛の旗」と『友愛の歌』(作詞: 来拪中翁、作曲: 渡邉暁雄)を作成した。1955年に一郎がマスターメイソンに昇級した際は、当時の日本の新聞各紙で報じられ、AP通信により国外にも報じられた。デンスロウ&トルーマンの『10,000 Famous Freemasons』(1957年-1960年)にも掲載された。彼の息子威一郎(友愛青年同志会3代目会長)をはじめとする子孫もまた友愛の推進で知られているが彼ら子孫がメイソンであることは、はっきりと分かっていない。単に彼の孫鳩山邦夫の配偶者がメイソンの父親を持っていたということが分かっているだけである。由紀夫も、邦夫が発言した内容からはメイソンリーの会員とはわからない。由紀夫・邦夫兄弟は1996年民主党の結成メンバーになった。 笠井重治(1886年生) - 東京市会議員、衆議院議員。第二次世界大戦回避の活動等をした。 加納久朗(1887年生) - 横浜正金銀行取締役、千葉県知事。 星島二郎(1887年生) - 第28代商工大臣、第47代衆議院議長。 東久邇宮稔彦王(1887年生、1950年入会) - 皇族、第43代内閣総理大臣。世界連邦建設同盟名誉会長・第2代会長。1947年の皇籍離脱後にフリーメイソンリー入会。兄弟愛の真の意味を学ぶことが入会の目的であった。1957年にマスターメイソン昇級。 堀内貞一(1887年生) - 新日本産業社長。 リヒャルト・ニコラウス・(青山)栄次郎・フォン・クーデンホーフ=カレルギー(1894年生) - 詳細は「リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー#フリーメイソンリー」を参照 東ヶ崎潔(1895年生) - アメリカ生まれ、ジャパンタイムズ役員、国際基督教大学(ICU)初代理事長、日本人初の国際ロータリー(ロータリークラブの連合組織)会長。 三島通陽(1897年生) - 作家、貴族院議員、参議院議員、ボーイスカウト日本連盟初代副理事長・第2代理事長・第4代総長。 村山有(1905年生) - アメリカ生まれの二世。ジャーナリスト。ボーイスカウト日本連盟理事・相談役。GHQの通訳。戦後にマスターメイソンに昇級(raised)した日本人の一人。日本グランドロッジの設立にも中心人物として尽力した。 藤山勝彦(1905年生) - 大日本製糖社長。 沢田教一(1936年生) - 戦場カメラマン。 高須克弥(1945年生)2016年に京都御門ロッジの最高位に就任。
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