竹下家
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「渡る世間は鬼ばかりの登場人物」の記事における「竹下家」の解説
美雨(みう) 演 - 京野ことみ 最終シリーズ第16話から登場。春菜の母。派遣先の会社が倒産し、夫に捨てられるように離婚を言い渡され、職もなく頼る人もいなかったため、春菜を北川保育園に預け、自殺を図る。 一命は取り留め入院するが、退院当日に姿を消す。春菜の様子が気になり、野田家に姿を現し逃亡を試みるが失敗、弥生たちの説得により良の庭師の助手のアルバイト(まかない付)をすることになる。のちに野田家の家事を交代でやることになり、野田家の近所のアパートに住む。学生時代はバレーボール部員だった。 2013年以降は未登場。 春菜(はるな) 演 - 小林星蘭 最終シリーズ第15話から登場。北川保育園の園児。美雨の娘。母が迎えに来なかったために一時的に野田家に引き取られる。 勇気や良武を実の兄のように慕い、大家族との生活を楽しむ。家出事件以来、ずっと引きこもっていた良武の心を開かせる。 2013年以降は未登場
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竹下家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 13:42 UTC 版)
(島根県雲南市) 江戸時代、竹下家は山林大地主田部家傘下で庄屋(現在の村長)を務めた関係から、慶応2年(1866年)酒造りの権利である「酒座」を同家から譲り受けた。日本三大山林王としての田部家の財力は、島根を支配するとまで称されていた。 戦前の竹下家は「田部家の“中番頭”」ではあったものの、掛合地区では圧倒的な権勢を誇っていた。戦後の農地解放で、竹下家が手放した農地と山林は、『掛合町誌』によれば合計約569反(170700坪)に上っており、これは、掛合地区で3番目に多く農地と山林を手放した地主であった。竹下家の菩提寺は島根県雲南市掛合町の浄土真宗本願寺派日倉山専正寺。 祖父 - 儀造(島根県多額納税者、工業) 祖父・儀造は島根県人竹下荘太郎の三男にして明治10年(1877年)10月を以て生れ後ち先代竹下儀造の養子となる。第二十八区掛合村戸長を長く務め明治22年(1889年)から大正14年(1925年)まで掛合村の村会議員だった。 父 - 勇造(酒造業、政治家・元島根県議会議員) 明治33年(1900年)6月生 - 昭和59年(1984年)3月没 島根県出雲市今市町出身。武永貞一(武永明文舎印刷工場経営主)の弟、竹下儀造の養子。 婿養子であったが家業にはほとんど関わらず(酒屋の当主にも拘わらず、下戸であった)、政治談議に昂じていた。戦時中は県議を務め、登の政界進出のためにも根回しを行っていた。 また、恰幅もよく女にもてたが、これが政江を巡る悲劇、登との確執につながってゆく。 実母 - 唯子(1904年 - 1945年) 「たいへん進歩的な人だったようで、当時、松江中学の教師をしていたマルキストの福本和夫の影響を強く受け、先祖代々つたわっていた"日の出正宗"という酒の名前を"大衆"という名に変えてしまい、二級酒しか造らせなかったという人である。"人のために生きろ"というのが口癖で、竹下もその薫陶を受けて育った。幼少の頃から政治的環境にあったというべきだろう」と評されている。 継母 - 恕子(ひろこ、旧姓木村)最初の夫は陸軍軍医中尉だったが、ノモンハン事件で戦死した。 異母弟 - 亘(慶應義塾大学経済学部卒業。NHK記者から登の秘書となり、登の引退後、地盤を継ぎ政治家となった)。昭和21年(1946年)11月生 - 令和3年(2021年)9月没。 異母弟 - 三郎(早稲田大学卒業後、山陰中央テレビに勤務する傍ら、政治家に転身した兄二人に代わり家業を継ぐ。株式会社「竹下本店」代表取締役社長) 異母妹 - 栄(医師に嫁ぐ) 前妻 - 政江(旧姓竹内、1925年 - 1945年)登の親友の妹。学生結婚するが、召集中に自死。 後妻 - 直子(島根県、銀行員遠藤捨次郎の娘)。大正15年(1926年)9月生 - 平成22年(2010年)9月没。遠藤家は竹下家の縁戚(竹下の父・勇造の兄と直子の母・周子の姉が夫婦)であり、両家で交流があった。 長男 - 力道(りきみち、力道山に因んで命名、1954年夭逝) 長女 - 一子(1946年生まれ、山梨県、政治家金丸信の長男金丸康信の妻、共立女子短期大学卒業) 結婚について、神一行 (2002, p. 191)によれば、「この結婚話を持ってきたのは佐藤栄作夫人の寛子だった。康信が早稲田大学政治経済学部を卒業後、NHKの放送記者をしているころだ。一度の見合いで話は即座に決まった。」という。晩年の金丸信の介護を献身的に務めていた。 現在は山梨県南アルプス市の特別養護老人ホーム「白根聖明園」の施設長を務める。 次女 - まる子(1948年生まれ、慶應義塾大学文学部卒業、毎日新聞政治部記者をへて竹下の秘書をつとめた内藤武宣の妻) 三女 - 公子(1955年生まれ、慶應義塾大学文学部卒業、竹中工務店創業者一族で同グループ内のTKリアルティ専務取締役に就いた竹中祐二の妻、ゴルフグッズなどの販売会社「株式会社たけみ会」代表取締役) 孫 - 次女まる子の娘にあたる漫画家の影木栄貴と、その弟でミュージシャンのDAIGO(内藤大湖、BREAKERZ)は孫であり、その妻は女優の北川景子。竹下の初孫にあたる長女一子の娘はかつて「幽木遊貴」のPNで従妹の影木と同人誌活動をおこなっていた。ほかに一般人の孫(男子)が2名。
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