竹下派の後継会長抗争とは? わかりやすく解説

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竹下派の後継会長抗争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 02:36 UTC 版)

竹下派七奉行」の記事における「竹下派の後継会長抗争」の解説

竹下派会長だった金丸信1992年発覚した東京佐川急便事件会長職を辞任したのをきっかけに、後継会長を巡る派内抗争発展した夏季休暇狙って事件公表し、わざわざ玄関強制捜査撮影させる有様だった。この結果派閥オーナーである竹下と、会長代行である小沢対立深刻化した。 七奉行竹下側に立った小渕橋本梶山」と、表の羽田、裏の小沢二枚看板とする「小沢羽田渡部奥田」に分裂することになる。後継会長人事で、竹下系は竹下側近中の側近である小渕推し小沢羽田系は清新なイメージ羽田推した両者中間であった羽田グループ引き込み奔走竹下は「羽田会長」「羽田総裁」を約束し小沢は「選挙制度改革」を訴えた強硬な政治改革論者だった羽田は、小沢合流することを選択羽田親密だった奥田らも同調した衆議院では小沢系が67人中35人と過半数固めたものの、参議院衆議院握ればそちらへ流れると見て工作怠った一方小渕系は竹下の命を受けた青木幹雄斎藤十朗らが小渕支持工作奔走し38人中30人固め直後金丸竹下小沢の3者会談小沢竹下をなじる一幕があった(参院小沢の「参院は(衆院さえ固めれば)後からついて来る」という参院軽視発言瞬時伝わったため、それまで衆院優勢な体制築き上げつつあったにもかかわらず参院側の離脱招いたまた、先に事務所金庫押さえたのも竹下側だった)。最終的に会長決定する経世会最高幹部会で、座長原田憲小渕支持座長見解出し小渕後継会長の座に就いた。 旧竹下系は小渕派となり、第4派閥転落した一方小沢羽田44名は経世会離脱して改革フォーラム21羽田派)を立ち上げた。これによって竹下派七奉行は同じ派閥の中で活動することはなくなった。

※この「竹下派の後継会長抗争」の解説は、「竹下派七奉行」の解説の一部です。
「竹下派の後継会長抗争」を含む「竹下派七奉行」の記事については、「竹下派七奉行」の概要を参照ください。

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