田部家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 09:57 UTC 版)
「田部長右衛門 (23代)」の記事における「田部家」の解説
(島根県飯石郡吉田村(現・雲南市)) 遠祖は紀州熊野庄(現・和歌山県)田辺族の別派であると記録されている。文治年中源頼朝が備前、備中、備後にそれぞれ地頭職を置いたときその中に備後の周藤通資という武士がいた。田部氏はその周藤家の家臣であったと記録されており、それから200年後、田部彦左衛門という人物が鉄山業を開いて定着したという。田部家はこの彦左衛門を初代としている。 江戸時代には準武士として待遇され政治的には郷村役人よりはるかに上位にあった。田部家の黄金時代には山林25000ヘクタールをもち田地が1000ヘクタール、小作1000戸、牛馬1000頭、島根県飯石郡はその大部分が田部家の領地であるという名実ともに日本一の山林地主であった。 長右衛門 (23代)は作家の司馬遼太郎との対談の中で「私のほうは源平時代には紀州の田辺にいて、田辺湛増の一族だったようですが、室町のころにこの出雲の吉田にうつってきたのです。私で23代になります」、「出雲には私の家だけじゃなくこういう仕事の家が10指を越すほどありました。それらは普通、“タタラモン”とよばれていまして、決して上品なもんじゃない」と述べている。 祖父・長右衛門 (21代)(島根県、宇山数馬 (5代)の息子) 父・長右衛門 (22代)(島根県、宇山清左衛門 (6代)の息子) 妹・永津(島根県、宇山真 (8代)に嫁する) 妻・喬子(島根県、秦壮右衛門の長女) 長男・長右衛門 (24代)(実業家・元山陰中央テレビジョン放送会長) 同妻・陽子(田部代表取締役社長)は鳥取・米子の実業家坂口平兵衛 (2代)(元坂口合名社長)の四女) NHK特集『冬・奥出雲 山林大地主の村』 (1987年2月20日放送)で田部家の正月行事の模様が取り上げられた際に出演。 長女(実業家・元鳥取商工会議所会頭、日ノ丸総本社会長米原正博の妻) 二女(島根県、秦家養女) 三女(千葉県、大多和家に嫁する) 四女・和加子(京都府、武者小路千家宗匠千宗守 (14代)の妻、平成11年(1999)財団法人官休庵常任理事就任。和菓子、料理、着物に関する新聞、雑誌、書籍の執筆などで活躍中。)
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