財産状況
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華族の財産状況については家ごとに様々であるが、一般に旧大名華族は裕福で旧公家華族は貧しい傾向があった。旧大名華族は数多くの不動産を所有し、使用人の数も多く、豪勢な生活を送っている者が多かった。しかし彼らの日本国内における所得面の比重も時代を経るごとに徐々に減っていき、相対的な地位としては低下していった。1887年(明治20年)当時には全国所得番付上位30人のうち大名華族が15人を占めていたが、1933年(昭和8年)の同番付ではわずか3人に減っていることからもそれが伺える。これに対して公家華族は家計が逼迫している者が多く、明治45年皇室令第三号旧堂上華族保護令により旧公家華族には一定の配分が行われるようになった。昭和期には朝鮮貴族に貧窮状態に陥っている者が多かった。
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財産状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 22:50 UTC 版)
20世紀以前、イギリス貴族は大半が大地主だった。保守党の地主議員ベイトマンは著書の中で1870年代の大地主を3000エーカーの土地を保有し、かつ3000ポンド以上の地代がある者と定義している。つまり約1200町歩の土地が必要だった。日本の地主は、地租改正後、明治から大正にかけて地主制が最も発展したとされる時期にあっても、50町歩(125エーカー)もあれば「大地主」と呼ばれていたことと比較すれば、英国大地主たちが持つ3000エーカーの広大さが理解される。当時英国最大の大地主だったサザーランド公爵ルーソン=ゴア家に至っては135万854エーカー(約33万6274町歩)の土地を所有していた。当時の日本で最大の地主だったのは島根県の山林を中心に2万8000町歩(11万3120エーカー)の土地を所有した田部家だが、サザーランド公爵家の所有する土地は実にその10倍以上である。英国大地主たちの所有する土地がどれほど桁外れの広大さだったかが分かる。 しかし広大な土地と屋敷を維持するだけでも費用がかさむうえに、20世紀に入ってからの相続税・財産税攻勢のせいで経済的に没落する貴族が現れるようになった。特に第二次世界大戦後のアトリー政権の社会主義的政策によって貧富の格差が縮められたことで貴族の所領経営は危機的状況に陥った。 1946年には相続税の最高税率90%という貴族に過酷な引き上げが行われた。これは1954年には改正されて緩和されたものの、それまでに多数の貴族が壊滅的打撃を受けた。デヴォンシャー公爵家やベッドフォード公爵などは、直撃を被って本邸以外のすべての土地の売却を迫られた。現代では必ずしも貴族が裕福というわけではなくなっている。セント・オールバンズ公爵やリンスター公爵のように本邸を含めた全土地を失って賃貸住宅暮らしに落ちぶれた公爵も存在する。 1895年に創設された歴史的建造物の保護団体ナショナル・トラストに屋敷や敷地の管理を委託し、邸宅の一部をホテルや博物館として有料公開し、その収入でやりくりしている貴族も多い。 しかし経済状態は家ごとに大きな差があり、うまく立ち回って、いまだ巨万の富を維持する大地主貴族も少なくはない。たとえばロンドン屈指の高級住宅街メイフェアを中心に莫大な土地を所有する第6代ウェストミンスター公爵ジェラルド・グローヴナーは、巨額の資産を活用してグローブナー・グループという巨大な不動産企業のオーナーとなり、アメリカやオーストラリアや日本など世界17カ国でホテル事業などのビジネスを展開した。2015年のサンデー・タイムズ・リッチ・リスト(英語版)によれば総資産額は約85億6,000万ポンド(約1兆5,408億円)で英国内で経済活動する者(外国人含む)の中で第9位という資産家である。
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