積善館
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※「老舗の一覧#1650年から1699年まで」の「1691年」に記載あり。 新湯地区にある老舗旅館「積善館(せきぜんかん)」は、上野国吾妻郡四万村の名主を務めていた3代目(もしくは4代目)関善兵衛(せき ぜんべえ。通称:関善;せきぜん)が現在の場所に湯場と湯宿を造った元禄4年(1691年、江戸時代前期)をもって創業年としている。湯宿のほうは現存する本館の建物であり、ただし、現在の3階建てと違って当初は2階建てであった。その3年後の元禄7年(1694年)には旅籠宿として開業している。積善館の主人を務める関家当主は名跡「関善兵衛」を代々襲名しており、現在の当主(本名:関善平)は19代目である。 明治時代になって屋号が現在の「積善館」に改められている。これは15代目当主が「関善」と『易経』に由来する故事成語「積善の家には余慶あり」を掛け合わせて「館」を添えた命名である。1897年・1898年(明治30年・31年)頃には本館の3階が増築された。 1930年(昭和5年)に造られた「元禄の湯」は、中之条町の文化財に指定されている。1986年(昭和61年)には佳松亭が増築され、現在(※2010年代後期、2020年代前期)の佇まいが完成している。 積善館本館と慶雲橋 積善館本館の.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}向新(むこうしん)の佇まいは、朱い欄干の慶雲橋ともども、アニメ映画『千と千尋の神隠し』の主要舞台である「油屋」及び朱塗の橋を彷彿とさせる。向新はアニメと同じく従業員宿舎として使用されている。 積善館の本館の多くの部分は現存する日本最古の湯宿建築であり、「積善館本館」(1棟)の名称で群馬県の重要文化財に指定されている(1996年〈平成8年〉3月2日指定)。積善館の建物のうち前新(まえしん、1階は「元禄の湯」)と廊下橋は中之条町の文化財になっている。また、山荘は昭和の名工の手技を後世に伝える桃山様式の優れた建築であり、国の登録有形文化財に登録されている。 本館と、本館の前を流れる新湯川(あらゆがわ)に架かり、朱塗の欄干が目にも鮮やかな「慶雲橋(けいうんばし)」は、数々の映画のロケ地やモデルになってきた。■右の画像を参照。 スタジオジブリの新作アニメ映画『千と千尋の神隠し』の2001年(平成13年)公開が発表されると、主要舞台として描かれている湯屋(ゆや)「油屋(あぶらや)」のモデルになったのではないかという噂が日本各地の温泉地などで立ち上がった。四万温泉もその一例で、積善館本館と慶雲橋がそうではないかという噂が口コミやファン(アニメファンもしくは温泉ファン)のブログを通じて広まった。とりわけ、本館の向新(むこうしん)は、昔は客室であったのが、1970年(昭和45年)頃に住み込み従業員の寮として使用されるようになったものであり、構造のみならず用途までもが作品と同じである。また、本館と山荘を結ぶ地下通路で、一番の人気スポットでもある「浪漫のトンネル」も、作中で異世界と現実世界を繋ぐ通路の役割を果たしているトンネルを想起させると注目された。そのうち、積善館をはじめ、観光情報サイトなどでも、この件を売りの一つにするようになった。宮崎駿監督とスタジオジブリは日本各地の温泉施設をモデルにしたと認めながらも具体的に挙げた名は極わずかであり、その中に四万温泉は含まれていない。とは言え、積善館によれば、映画製作前に宮崎駿監督が宿泊しているとのことである。事の真相はともかくとして、積善館の景色と雰囲気が作中のイメージと重なるのは、ファンの認めるところであり、“巡礼”目的で訪れる観光客は珍しくない。なお、公式サイトや観光情報サイト等には、「実際にモデルになったかどうかは分からない」としたうえで「同アニメに通じる趣がある」と謳っているものと、「モデルになった」と謳っているものがあるが、ほとんど全てが何らかの形で謳ってはいる。
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