積善の人生哲学とは? わかりやすく解説

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積善の人生哲学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 04:38 UTC 版)

山田積善」の記事における「積善の人生哲学」の解説

積善己がそうであったように、 “禍を転じて福と為すということ強く説いた積善戦後包容会」会員のために書いた詩吟人生』に、終戦翌年昭和21年3月27日積善講演をまとめた次のような文が掲載されているので、ここに転載し積善書「轉禍為福」の横額併せて掲げておく。 「若し私たち心の中に、月もなく、花もなく、日々、只食うことばかり人間なりましたら、それは餓鬼道畜生の道に落ちてしまったので、戦争負けたばかりでなく、人間戦争にも負けて人間界から畜生道追放されつつあるのだとも言えましょう。 私は、この際、是非とも皆様に “禍を転じて福と為すということ考えていただきたいであります。碁をうつ人達も、敗け碁にかえって勝者ありと申します。敗けを敗けとするか、敗けを勝ちに転ずるかは、その人のこゝろ一つであります。 敗けを勝ちに転じ、禍を福に転ずるためには、増長驕慢無思慮など、間違ったものは直ちにこれを改めねばならぬ同時に困苦欠乏中にも、ほゝえみを忘れず悲惨な敗北中にも希望失わず混乱中にも理想をすてず、疲弊中にも元気を振い起こさねばならないので、ございます長い人類の歴史考えましても、健全な民族三年や五年の戦争によって、外なる敵国から亡ぼされるなどということはないのであります。 私は声を大きくして絶叫したい。皆様警告したい。もし将来日本亡ぼすものがある、としましたら、それはわが日本人であります恐るべき敵日本人心の中に巣くって居ります。ほゝえみを忘れた希望失った理想をすてた、元気を振い起すことの出来ない増長や、驕慢改めることの出来ないでございます皆様今日3月27日御彼岸明けまして梅の花椿の花、沈丁花、今盛りであります間もないことと思います。 この焼野ヶ原の灰の中から、青々と若葉出て咲きかおる花の如く私達もこのなやみと苦しみとの中から、すこやかに立ちあがりたいものであります。」

※この「積善の人生哲学」の解説は、「山田積善」の解説の一部です。
「積善の人生哲学」を含む「山田積善」の記事については、「山田積善」の概要を参照ください。

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