積善の人生哲学
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積善は己がそうであったように、 “禍を転じて福と為す” ということを強く説いた。積善が戦後「包容会」会員のために書いた『詩吟と人生』に、終戦翌年(昭和21年)3月27日の積善の講演をまとめた次のような文が掲載されているので、ここに転載し、積善書「轉禍為福」の横額も併せて掲げておく。 「若し、私たちが心の中に、月もなく、花もなく、日々、只食うことばかりの人間になりましたら、それは餓鬼道、畜生の道に落ちてしまったので、戦争に負けたばかりでなく、人間戦争にも負けて、人間界から畜生道へ追放されつつあるのだとも言えましょう。 私は、この際、是非とも皆様に “禍を転じて福と為す” ということを考えていただきたいのであります。碁をうつ人達も、敗け碁にかえって勝者ありと申します。敗けを敗けとするか、敗けを勝ちに転ずるかは、その人のこゝろ一つであります。 敗けを勝ちに転じ、禍を福に転ずるためには、増長、驕慢、無思慮など、間違ったものは直ちにこれを改めねばならぬと同時に、困苦欠乏の中にも、ほゝえみを忘れず、悲惨な敗北の中にも希望を失わず、混乱の中にも理想をすてず、疲弊の中にも元気を振い起こさねばならないので、ございます。 長い人類の歴史を考えましても、健全な民族が三年や五年の戦争によって、外なる敵国から亡ぼされるなどということはないのであります。 私は声を大きくして絶叫したい。皆様に警告したい。もし将来、日本を亡ぼすものがある、としましたら、それはわが日本人であります。恐るべき敵は日本人の心の中に巣くって居ります。ほゝえみを忘れた、希望を失った、理想をすてた、元気を振い起すことの出来ない、増長や、驕慢を改めることの出来ない心でございます。 皆様、今日は3月27日、御彼岸も明けまして、梅の花、椿の花、沈丁花、今盛りであります。桃や桜も間もないことと思います。 この焼野ヶ原の灰の中から、青々と若葉が出て、咲きかおる花の如く、私達もこのなやみと苦しみとの中から、すこやかに立ちあがりたいものであります。」
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