石井 眞木
舞踊家・石井漠の三男として東京に生まれる。父の舞踏音楽を担当していた伊福部昭らに幼少より作曲を師事。22歳でベルリン音楽大学に留学し、ボリス・ブラッハー、ヨーゼフ・ルーファー等に作曲を学ぶ。26歳で帰国後は、十二音技法等前衛技法を用いた作曲活動を展開していたが、寺院での声明との出会いが転機となり、日本やアジアの伝統音楽と西洋の前衛的手法を結びつけた創作を開始。「静」と「動」のコントラストが鮮やかな独自の作品スタイルを確立していく。33歳でベルリン市の招きにより再渡独後は、ベルリンと東京 の二都を本拠に、作曲家、指揮者、国際交流活動オーガナイザーとして精力的に活動。しかし惜しくも甲状腺癌のため、66歳で急逝した。尾高賞、中島健蔵音楽賞大賞、ドイツ批評家賞、京都音楽賞大賞、日本伝統文化振興賞、紫綬褒章など多数受賞。
石井眞木
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いしい まき 石井 眞木 | |
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生誕 |
1936年5月28日![]() |
死没 |
2003年4月8日(66歳没)![]() |
学歴 | 国立ベルリン音楽大学 |
ジャンル | クラシック |
職業 | 作曲家、指揮者 |
活動期間 | 1962年 - 2002年 |
石井 眞木(いしい まき、1936年5月28日 - 2003年4月8日)は、日本の作曲家、指揮者[1]。東京府出身。父は舞踊家の石井漠、同じく作曲家の石井歓は兄、石井五郎は叔父[1]。
略歴
幼少より、父の舞踊音楽を担当した縁で伊福部昭の薫陶を受ける。11歳よりヴァイオリンを学ぶ[2]。1952年国立音楽大学付属高等学校ピアノ科に入学、学外で作曲を池内友次郎に、ピアノをL.コハンスキに、指揮法を渡邉暁雄に師事する[2]。1955年に卒業後、伊福部昭に作曲を学ぶ[2]。1958年、ベルリンに留学し、国立ベルリン音楽大学作曲科でボリス・ブラッハー、ヨーゼフ・ルーファーらに師事、十二音技法など最先端の音楽技法を学ぶ[1]。1961年ダルムシュタット国際現代音楽祭で「9奏者のための前奏と変奏」が初演される[1]。年末に父危篤の報により帰国[3]。
1962年、十二音技法を使った作曲などで注目される[1]。1963年二十世紀音楽研究所の第5回現代音楽祭に参加し、ドイツ大使賞受賞[1]。1966年初めて声明を聴き、以来東洋と西洋の融合を図った作品を書くようになる[1]。1967年から入野義朗、諸井誠らと日独現代音楽祭の企画・運営に携わる[1][4]。1969年、西ベルリンのアーティスト・イン・レジデンスとして再渡独。以来、ベルリンと東京を拠点とし、活動を展開する[2]。
1971年入野と東京音楽企画研究所(TOKK)を設立[5]して副所長に就任し、1973年にはTOKKアンサンブルを結成、欧米や東南アジアに演奏旅行する[1][6]。インドネシアのガムランや和太鼓演奏グループ鬼太鼓座などとの出会いから、原始的リズムへの回帰、音響の集約化などを進め、「二つの音世界からの創造」をテーマに独自の音楽を展開していく[1]。1976年から日独現代音楽祭を発展させたパンムジーク・フェスティバル東京を主宰[1]。1977年和太鼓とオーケストラのための「モノプリズム」で尾高賞受賞[7]。
「パリの秋芸術祭」や「ベルリン芸術週間」などでも特集や作品演奏会が組まれるようになる[1]。1980年代には「反核・日本の音楽家たち」の活動に参加した[1]。1985年から船山隆、江戸京子と「東京の夏」音楽祭を企画・運営する[1]。1989年10月4日にはサントリーホールで「作曲家の個展・石井眞木」が開催され、東京都交響楽団を指揮して自作4作品を演奏した[8]。
1990年1月26日には東京都交響楽団の都響日本の作曲家シリーズ8として「石井眞木作品集」が、岩城宏之指揮、サントリーホールで開催された[9]。1991年と1992年には「現代の交響作品展」を新交響楽団と開催する[2][10]。また日本と中国やアジアへの関心を深め、1996年には日中友好合作音楽会実行委員会委員長として「東京の響きin北京」コンサートを開催し、北京で中国放送管弦楽団を指揮して自作他を演奏した[11]。1997年には北京で開催の「日中友好合作現代音楽祭」実行委員長を務めた[12]。同年には日独英3か国語併記の編著書『石井眞木の音楽 : 西の響き・東の響き : 二つの音世界からの創造』を出版する[13]。1999年、紫綬褒章を受章する[1]。
2003年4月8日、甲状腺癌のため66歳で急逝した[14]。交響詩『幻影と死』が遺作となった[1]。
没後
2003年7月5日、遺作『交響詩「幻影と死」』がゲルト・アルブレヒト指揮、読売日本交響楽団によりサントリーホールにて演奏された。演奏会プログラム冊子には、最期の日々の記録と、指揮者はじめ関係者からの追悼メッセージが掲載されている[15]。
2004年10月には、石井が生前に作成した企画原案に基づき「第2回日中友好合作現代音楽祭」が東京と北京で開催された[16]。
2013年7月14日には「没後10年石井眞木へのオマージュ」と題した演奏会が、野平一郎指揮、オーケストラ・ニッポニカにより紀尾井ホールにて開催された[17]。演奏会プログラム冊子には、一柳慧、菅原淳、高橋アキ、林英哲、船山隆ら親交のあった人々からの追悼メッセージが掲載されている[3]。
2016年1月30日には、横笛の赤尾三千子の委嘱作品『水炎伝説』(1990)が演奏会形式で再演された[18][19]。
代表作品
- オーケストラのための「響層」(1969年)
- 雅楽とオーケストラのための「遭遇 II番」(1971年)
- 日本太鼓のための「モノクローム」(1976年)
- 日本太鼓とオーケストラのための「モノプリズム」(指揮小澤征爾、和太鼓林英哲、ボストン交響楽団の演奏で1976年初演。第25回尾高賞受賞作品)
- 音響詩「熊野補陀落」(1980年)
- 打楽器とオーケストラのための「アフロコンチェルト」(1982年)
- オーケストラのための「半透明の幻影」(1982年)
- 交響詩「祇王」(1984年)
- 浮游する風(交響三連作:雅霊、風姿、砕動鬼)(1984-86年)[20]
- バレエ「輝夜姫」(1985年)[21]
- 打楽器ソロのための「サーティーン・ドラムス」(1985年)
- 尺八と二十絃箏のための「遙かなり、遭遇」(1993年)
- 聲明、龍笛とオーケストラのための「聲明交響 I〜一切共生」(1995年)
- オペラ「閉じられた舟」(1999年)
映画音楽
- 帝都物語 交響的組曲「帝都物語」※音楽監督(1987年)
- ウルトラQ ザ・ムービー 星の伝説(1990年)
著書
- 石井眞木の音楽 : 西の響き・東の響き:二つの音世界からの創造. 音楽之友社、1997.4、ISBN 4-276-13273-8[22]
受賞・栄誉
- ドイツ大使賞(1963年 第5回現代音楽祭 「アフォリスメン I 」)[23]
- ヴェネチア市賞(1973年 TV映像作品「玄」の音楽:イタリア賞コンクール・テレビ音楽部門)[2]
- 尾高賞(1977年 第25回) - 「モノプリズム」[7]
- 中島健蔵音楽賞(1985年度)[24]
- ドイツ批評家賞(1988年、音楽部門、1987年度第37回)[25]
- 京都音楽賞(1990年 大賞 第5回)
- レコード・アカデミー賞(1990年 第28回)(1993年 第31回)[26]
- 紫綬褒章(1999年)
脚注
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『日本の作曲家:近現代音楽人名事典』日外アソシエーツ、2008年、50-51頁。ISBN 978-4-8169-2119-3。
- ^ a b c d e f “年譜(音楽歴) | 石井眞木”. ishii.de. 2023年2月18日閲覧。
- ^ a b 『「没後10年石井眞木へのオマージュ」プログラム』オーケストラ・ニッポニカ、2013年7月14日、4頁。
- ^ 『入野義朗 (人物書誌大系 ; 19)』日外アソシエーツ、1988年6月、244頁。ISBN 4-8169-0773-4。
- ^ 『入野義朗 (人物書誌大系 ; 19)』248頁
- ^ 『入野義朗 (人物書誌大系 ; 19)』252頁
- ^ a b “「尾高賞」受賞作品”. NHK交響楽団. 2023年2月18日閲覧。
- ^ “作曲家の個展 II 音楽事業 サントリー芸術財団”. サントリー. 2023年3月13日閲覧。
- ^ “創立50周年 コンサートアーカイブ|東京都交響楽団”. www.tmso.or.jp. 2023年3月13日閲覧。
- ^ “新交響楽団ホームページ: 1986~1995年の自主演奏会の記録”. www.shinkyo.com. 2023年2月19日閲覧。
- ^ 司東玲実 (1996-07). “ドキュメント・日中友好合作『東京の響きin北京』レポ-ト”. 音楽芸術 54 (7): 74-76. doi:10.11501/2293998.
- ^ 『オペラ「閉じられた舟」公演プログラム』ニッセイ文化振興財団、2000年11月13日、6頁。
- ^ “「西の響き・東の響き/石井眞木の音楽」 | 石井眞木”. ishii.de. 2023年2月19日閲覧。
- ^ “作曲家の石井眞木氏死去/ヨーロッパなどで活躍”. 四国新聞社. 2023年2月19日閲覧。
- ^ 『読売日本交響楽団第418回定期演奏会プログラム』読売日本交響楽団、2003年7月5日、11-27頁。
- ^ “日中友好合作現代音楽祭”. www.nipponica.jp. 2023年3月13日閲覧。
- ^ “オーケストラ・ニッポニカ (Orchestra Nipponica)”. www.nipponica.jp. 2023年3月13日閲覧。
- ^ “演奏会のお知らせ|横笛 赤尾三千子の世界 MICHIKO AKAO Official Site”. www2.gol.com. 2023年3月13日閲覧。
- ^ “水炎伝説 ~回想~|横笛 赤尾三千子の世界”. www2.gol.com. 2023年3月13日閲覧。
- ^ 富樫康 (1995-10). “世代論的戦後作曲家群像”. 音楽芸術 53 (10): 31. doi:10.11501/2293770.
- ^ 寺内直子 (2013-12). “現代バレエ「輝夜姫」をめぐる小論 : 日本の楽器を用いる音楽の認識について”. 国際文化学研究 : 神戸大学大学院国際文化学研究科紀要 41: 55*-85*. doi:10.24546/81005426 .
- ^ “国立国会図書館オンライン | National Diet Library Online”. ndlonline.ndl.go.jp. 2023年2月19日閲覧。
- ^ 『戦後作曲家グループ・活動の軌跡:1945-1960』日本近代音楽館、1998年、23頁 。
- ^ “中島健蔵音楽賞”. music-kansai.net. 2023年2月19日閲覧。
- ^ “Verband der deutschen Kritiker e.V.”. web.archive.org (2009年3月7日). 2023年2月19日閲覧。
- ^ “音楽之友社 レコード・アカデミー賞歴代受賞盤② 1981~2000”. 音楽之友社. 2023年2月19日閲覧。
外部リンク
- 石井眞木オフィシャルサイト (日本語版)
- 石井眞木オフィシャルサイト (英語版)
- 石井眞木オフィシャルサイト (独語版)
「石井 眞木」の例文・使い方・用例・文例
- 私の名前は石井拓也です
- 株式会社小阪建設の営業課の石井と申します。
- 私、石井コーポレーション株式会社の企画部の本部長の山下と申します。
- 10月25日,衆議院議員の石井絋(こう)基(き)議員が東京都世田谷区にある自宅前で殺害された。
- 伊藤容疑者は「石井議員が自分のアパートの家賃支払いを手助けすることを断った」ため石井議員を殺したと警察に話した。
- 伊藤容疑者は過去に何度も金を要求するため石井議員の事務所を訪ねていた。
- 彼はさらに「石井議員と私とは思想上の対立があった。」と話した。
- 石井議員は金融スキャンダルを暴(あば)き,むだ遣いの多い公共事業と闘っていたことで知られていた。
- シアトル・マリナーズの鈴木イチロー選手が2001年に4回,ロサンゼルス・ドジャースの石井一(かず)久(ひさ)選手が2002年4月にナショナルリーグ賞を獲得している。
- 広島大学大学院工学研究科の石井抱(いだく)助教授が新しいバッティングロボットを開発した。
- 「これらのカメラでは,球がまるでスローモーションで動いているように見える。」と石井助教授は話した。
- 石井助教授は,これらの高性能カメラを,工場製品の品質管理検査を行うために開発していきたいと考えている。
- 2006年の大会覇者である石井慧(さとし)選手が昨年の勝者である鈴木桂(けい)治(じ)選手を決勝で破り,2度目の優勝を果たした。
- 石井選手は100キロ超級での五輪初出場を確実にした。
- 石井雅(まさ)史(し)選手はオーストラリアの選手にわずか0秒013遅れてゴールし,2位に終わった。
- 照明デザイナーの石井幹(もと)子(こ)さん(69)と娘のリーサ明(あか)理(り)さん(37)がこのイベントを企画した。
- 石井さん母娘は,パリの街に日本特有の色を紹介したいと話した。
- このイベントは,照明デザイナーの石井幹(もと)子(こ)さんと娘のリーサ明(あか)理(り)さんによって演出された。
- 三菱重工業の執行役員である石井泉(いずみ)さんは「私たちは短期間に4機のH2Aロケットの打ち上げに成功した。これは自分たちのロケットに対する大変な自信になる。」と述べた。
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