水上・水中特攻
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フィリピンにどうにか到着した震洋は300隻まで減っていたが、1944年12月23日にコレヒドール島に配置されていた第7震洋隊が、艇の整備途中に燃料のガソリンに引火し、その後搭載爆雷が爆発し火災が広まると、次々と震洋が誘爆し、第7震洋隊他の75隻の震洋を喪失し、150名の震洋隊隊員が事故死した。震洋のエンジンはトラックのエンジンを強引に転用したもので、気化したガソリンによる爆発事故が頻発しており、戦後の1945年8月16日にも高知県香南市の震洋基地で爆発事故が発生し111名が事故死している。リンガエン湾などで戦果を挙げていた陸軍海上挺進戦隊に対し、海軍の震洋は事故とアメリカ軍の空襲と艦砲射撃により、殆ど戦闘をしていないのにも関わらず壊滅状態に陥っていた。 ようやく好機が到来したのは1945年2月15日の夜で、バターン半島のマリビエルに部隊を上陸させようとしたLST5隻が日没までに作業が完了せず、次の高潮を待って残りの物資を揚陸しようと海岸に停泊しており、その護衛の特攻艇対策部隊の上陸支援艇LCS5隻とともに残されることになった。コレヒドールの震洋隊司令官小山田正一少佐は残った震洋50隻全部でこれを叩こうと決め、全震洋に出撃を命じた。LCSはボフォース 40mm機関砲2連装3基とエリコンFF 20 mm 機関砲4基もしくはロケット発射機10基と大きさ(排水量300トン前後)の割には重武装で、突進してくる震洋を次々と撃破したが、数が多すぎたため接近を許し、LCS5隻の内3隻を撃沈、1隻を擱座させ、生き残ったのはたった1隻だった。一矢報いたこの攻撃で震洋は全滅し、残った搭乗員や震洋隊隊員は上陸してきたアメリカ軍と陸上戦を戦い玉砕した。 一方、回天は、フィリピンにアメリカ軍が侵攻してくる前の1944年9月12日、軍令部の検討会で藤森康男中佐らの研究の結果として、大型潜水艦8隻(内2隻は予備)回天32基によって、メジュロ、クェゼリン、ブラウンの空母を奇襲攻撃する計画がなされ、後に目標がマーシャル諸島、アドミラルティ諸島、マリアナ諸島もしくはパラオに変更、攻撃日も11月上旬となり、作戦名は玄作戦と決定した。しかしフィリピンにアメリカ軍が侵攻してくると、その迎撃のために大型潜水艦隊はフィリピンに送られ、玄作戦の参加兵力は第15潜水隊の伊36潜、伊37潜、伊47潜の3隻の潜水艦と12基の回天に縮小された。 1944年11月7日に第6艦隊の司令官に就任していた三輪が自ら出撃回天隊員に対し訓示を行った。三輪は黒木・仁科らから人間魚雷の提言があったときは否定的な意見を述べていたが、皮肉にも回天の初陣を見送る立場となり、その見送られる隊員の中には、事故死した黒木の位牌を抱いた仁科もいた。第一回の回天部隊は菊水隊と命名された。目標は伊36潜、伊47潜がウルシー環礁で伊37潜がパラオのコッソル水道であったが、伊37潜は回天射出前の1944年11月19日に防潜網敷設艦ウィンターベリー(英語版)に発見され、通報により駆け付けた2隻の護衛駆逐艦に撃沈された。伊36潜、伊47潜は無事にウルシーに到着し、1944年11月20日早朝4時15分の仁科艇が最初に出撃し伊47潜搭載の4基は全基出撃したが、伊36潜の回天は故障などで1基しか出撃できなかった。合計5基の回天の内1基が大型給油艦ミシシネワに命中した、ミシシネワは40万ガロンの航空ガソリン、85,000バレルの重油、9,000バレルのディーゼル燃料の3種類の燃料を満載しており、燃料に引火し大火災を起こした後横転沈没し、150人以上の死傷者を出した。 この攻撃は、安全なはずのウルシーを震撼させ、当時ウルシーで休養していた第38.3任務群司令フレデリック・C・シャーマンは「我々は一日終日、そして次の日も、今にも爆発するかもしれない火薬庫の上に座っている様なものだった。」感想を述べているが、損失は大型給油艦1隻のみであった。しかし日本軍はウルシーで空母2隻、戦艦2隻、コッソル水道で空母1隻を撃沈したと戦果を過大判定し、「回天はかくも絶大な威力をもっているのだから、さらに玄作戦を二次、三次と続けるべきだ」というムードを作り上げてしまった。そのためこの後も「菊水隊に続け」と、「菊水隊」より大規模な大型潜水艦6隻、回天22基で「金剛隊」が編成され、「菊水隊」と同様にアメリカ軍の泊地に対する奇襲攻撃を行ったが、歩兵揚陸艇1隻撃沈、 マザマ(弾薬輸送艦)(英語版)を大破、他輸送艦1隻を損傷の戦果に対し伊48潜を失っている。菊水隊の攻撃でアメリカ軍の泊地は防潜網などで厳重に防備されており、奇襲は望めなくなっていることを海軍首脳部は認識し、回天作戦を泊地で停泊している艦船への攻撃から、侵攻してくるアメリカ軍艦隊を洋上で攻撃する戦術に変更した。 アメリカ軍が硫黄島に侵攻し硫黄島の戦いが始まると、「千早隊」と「神武隊」の合計4隻の潜水艦が回天作戦で出撃したが、回天警戒のため編成されていた護衛空母アンツィオとツラギと駆逐艦18隻の 対潜水艦部隊に、「千早隊」の伊368潜、伊370潜が撃沈され、戦果もなかった。これまで回天作戦中の母艦の潜水艦は通常魚雷で攻撃することを禁じられていたが、「神武隊」の伊58潜の橋本以行艦長が、目の前を航行する敵艦を攻撃する絶好の機会を逃したことから、海軍上層部に回天作戦中の通常魚雷での攻撃の許可を求める意見書を提出したところ認められた。このことが後の重巡洋艦インディアナポリスを撃沈することに繋がったのであった。
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