村山談話後の各首相の対応
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「村山内閣総理大臣談話「戦後50周年の終戦記念日にあたって」」の記事における「村山談話後の各首相の対応」の解説
橋本内閣 1996年(平成8年)1月24日、橋本龍太郎内閣総理大臣は、衆議院本会議の代表質問において本談話の今後の取り扱いを問われ、本談話の意義を踏まえて対アジア外交を進めていく旨、答弁した。 小渕内閣 1998年(平成10年)8月11日、小渕恵三内閣総理大臣は、衆議院本会議の代表質問において歴史認識について問われ、本談話の基礎の上に立って外交を行っていく旨、答弁した。 同年11月26日、中華人民共和国の江沢民国家主席との日中首脳会談後に発表された日中共同声明には「双方は過去を直視し歴史を正しく認識する事が日中関係を発展させる重要な基礎であると考える。日本側は1972年の日中共同声明及び1995年8月15日の内閣総理大臣談話を遵守し、過去の一時期の中国への侵略によって中国国民に多大な災難と損害を与えた責任を痛感し、これに対し深い反省を表明した。中国側は日本側が歴史の教訓に学び平和発展の道を堅持することを希望する。双方はこの基礎の上に長きにわたる友好関係を発展させる。」との文言が盛り込まれ、村山談話を重視する姿勢を示した。 森内閣 2000年(平成12年)11月22日、森喜朗内閣総理大臣は、参議院予算委員会において「かつての戦争」についての認識を問われ、「95年の村山内閣総理大臣談話というもの、これが我が国の過去の問題についての政府としての正式な見解でございます。これに基づいて、特に周辺近隣アジア諸国とはこの精神をしっかり受けとめて、そして外交交渉を進めていくということが大事だと考えております。」と答弁した。 小泉内閣 2005年(平成17年)8月15日の戦後60周年の終戦記念日、小泉純一郎内閣総理大臣は、村山談話を踏襲した『小泉談話』を発表して、再びアジア諸国に謝罪した。 村山談話は特定の国名を明示していないのに対して小泉談話には「中国や韓国」という国名が盛り込まれた。 第1次安倍内閣 2006年(平成18年)10月5日、安倍首相は、衆議院予算委員会で、村山談話について「アジアの国々に対して大変な被害を与え、傷を与えたことは厳然たる事実」であり、「村山談話の中で述べているように、恐らくこれは、韓国の方々あるいは中国の方々を初め、侵略をされた、あるいは植民地支配に遭ったと、それはまさに我が国がそのときの閣議決定した談話として国として示したとおりである」とし、これを1993年(平成5年)の河野談話とともに、「私の内閣で変更するものではない」と明言した。 福田康夫内閣 2008年(平成20年)5月7日、福田康夫内閣総理大臣は、中華人民共和国の胡錦濤国家主席の日本訪問を受け、日中首脳会談に臨んだが、首脳会談後の共同声明では村山談話について一切言及しなかった。 福田は自由民主党総裁選挙における総裁候補だった2007年(平成19年)9月19日、日本外国特派員協会での記者会見にて「首相が言ったことだから正しいものと考える必要がある」と述べ、同じく候補者の麻生太郎も「歴代内閣は皆、同じことを申し上げてきている」と発言している。 麻生内閣 2008年(平成20年)10月2日、麻生太郎内閣総理大臣は、衆議院本会議の代表質問において、村山首相談話を受け継ぐのかどうか問われ、村山談話や小泉談話は「さきの大戦をめぐる政府としての認識を示すものであり、私の内閣においても引き継いでまいります。」と答弁した。なお、同年11月、政府見解と異なる認識を示した論文を発表したとして航空幕僚長を更迭され、退職した田母神俊雄は、参考人として招致された参議院外交防衛委員会の席で、「いわゆる村山談話なるものを公然と批判したことは全くありませんし、論文の中でも全く触れておりません。」とした上で、「村山談話と異なる見解を表明したということで更迭をされた」との認識を示した。 鳩山由紀夫内閣 2009年(平成21年)9月21日(日本時間22日)、アメリカ合衆国のニューヨークにおいて、中華人民共和国の胡錦濤国家主席と会談した鳩山由紀夫内閣総理大臣は、「互いの違いを乗り越えられる外交をするのが友愛の外交だ」とした上で、「村山富市首相談話を踏襲する」と表明した。 菅直人内閣 2010年(平成22年)8月10日、菅直人内閣総理大臣は韓国併合100年の節目に当たり、韓国に対して村山談話を踏襲した内容の謝罪談話(菅談話)を発表。しかし中国、台湾、北朝鮮などからは、村山談話はアジア全体に謝罪しているのに対し、菅談話は韓国に対してのみ謝罪している談話として批判を受けた。 野田内閣 2012年(平成24年)8月15日、野田佳彦内閣総理大臣は全国戦没者追悼式の式辞で歴代首相と同様に「先の大戦では多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対し多大の損害と苦痛を与えました。深く反省し犠牲となられた方々とそのご遺族に慎んで哀悼の意を表します」と村山談話の言葉を述べた。 第2次安倍内閣 2013年(平成25年)4月22日、参議院予算委員会で安倍晋三内閣総理大臣は「安倍内閣として村山談話をそのまま継承している訳ではない」と答弁した。同年5月15日、2014年(平成26年)3月3日の参議院予算委員会では「安倍内閣として歴代内閣の立場を引き継いでいる。」「侵略や植民地支配を否定した事は一度もない」とも答弁している。 2015年(平成27年)1月5日、安倍晋三内閣総理大臣は年頭記者会見で「村山談話を含め、歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいます。そしてまた引き継いでまいります」と表明した。 第3次安倍内閣 詳細は「安倍談話」を参照 2015年8月14日、安倍晋三内閣総理大臣は戦後70年談話として、『侵略』『植民地支配』『痛切な反省』『心からのお詫びの気持ち』の文言を村山談話とは異なる文脈や表現で盛り込んだ「安倍談話」を閣議決定し発表した。 第二次世界大戦について「深い悔悟の念」を表明し、戦後のアジア諸国への支援について触れる中において、歴代内閣の立場を継承するという間接的な表現で、「心からのお詫びの気持ち」、「痛切な反省」の文言を盛り込んだ。また、満州事変から第二次世界大戦への経緯について、「(日本は)進むべき針路を誤り、戦争への道を進んだ」とした。そして、「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も(中略)二度と用いてはならない」、「植民地支配から永久に訣別しなければならない」と一般論としての文脈の中で、「侵略」「植民地支配」の文言を盛り込み、村山談話とは異なり、日本の行為を侵略として認めたくだりはなかった。 談話を発表した記者会見においても、日本の行為が侵略に当たるかどうかは明言しなかった。また「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」といった独自の内容も盛り込まれた。 安倍談話を受けて、2015年8月14日から一時的に外務省ホームページの「歴史問題Q&A」が削除され、同年9月18日に改訂された「歴史問題Q&A」が掲載された。改訂前のページに記載されていた「植民地支配」「侵略」の文言が削除され、「戦争とは何ら関わりのない、将来の世代が、謝罪を続けねばならないような状況を作ってはなりません。これは、今を生きる、現在の世代の責任であると考えています」と安倍談話の内容を反映する文言が新たに追加された 菅義偉内閣 2021年(令和3年)6月25日、菅義偉内閣総理大臣は村山談話を継承しているとする答弁書を閣議決定した。
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