村山郡の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/22 13:49 UTC 版)
江戸時代の村山郡(現・山形県)は、幕府領・諸大名領・寺院領・神社領が複雑に入り組んだ地だった。各大名領には大庄屋が、幕府領の代官所には郡中惣代がそれぞれ置かれ、郡中惣代は村山郡の村ごとに置かれた名主などの村役人の中から1、2名がその代表として選ばれた。そして代官所に隣接する会所に詰めて、村役人と協力して代官所の管轄区域内に関する事務を執り行なった。 村山郡は山形盆地を中心として地理的な一体性を持っているため、共通する地域的課題が多かったが、複数の領主が定められていて領地の管轄は細分化されていた。そのために領主や管轄の違いを超えて郡内の村々が意思を統一して共同歩調を取る必要があった。 村山地方では約90年間に30数回の郡中議定が結ばれており、この数は全国一である。
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