村山談話成立の経緯とは? わかりやすく解説

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村山談話成立の経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:10 UTC 版)

村山富市」の記事における「村山談話成立の経緯」の解説

1994年6月30日、自らの意に反して思いがけず自民党社会党新党さきがけの三党連立政権首相に指名され村山は「衆議院で僅か70議席程度しか持っていない社会党委員長総理選ばれたことは憲政の常道から考えてあり得ないことだが、こうした内閣生まれてきたことには何らかの必然性があり歴史的な役割課せられているのではないか。ちょうど戦後50年節目であり自民党政権では解決できなかった過去の戦争歴史認識問題など内外諸課題けじめを付ける」と決意して新政権樹立三党合意事項に「過去の戦争反省する決議を行う」との内容盛り込み50年問題プロジェクト」を立ち上げた首相就任後ASEAN諸国歴訪し村山は「アジア各国日本に対して表向き良い顔をするが、実際経済大国になった国は再び軍事大国になるのではないか日本過去の戦争後始末付けていないではないか、また過ち繰り返さなければいいが、という疑念言外感じた」と述べる。 1995年6月9日衆議院本会議過去日本が行った侵略植民地支配謝罪する歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」が採決されるが自民党議員からも多数欠席者出て全会一致可決できなかったことを受け村山談話作成決心する五十嵐広三官房長官中心に複数学者などが、村山過去演説発言した内容などを盛り込んだ形で談話文案作成した村山談話文章完成後、日本遺族会会長橋本龍太郎通産大臣根回しの意味談話文章見せると、橋本が「文章の中で終戦敗戦使われているが敗戦統一した方が良いではないか」と指摘し村山賛成する戦後50年目の終戦記念日である1995年8月15日村山は「社会党委員長総理になった以上この程度の談話出せなければ意味がない」と異議が出るなら首相辞任暗に匂わせる形で談話閣議決定臨み内閣改造新し官房長官就任した野坂浩賢談話異議を唱える閣僚がいれば即座に罷免する覚悟であった閣議古川貞二郎官房副長官談話読み上げ野坂が「異議ありませんかと言うとタカ派と言われる江藤隆美総務庁長官平沼赳夫運輸大臣島村宜伸文部大臣を含む全閣僚村山改造内閣)が一言異議唱えず談話署名して満場一致閣議決定され、村山談話発表した

※この「村山談話成立の経緯」の解説は、「村山富市」の解説の一部です。
「村山談話成立の経緯」を含む「村山富市」の記事については、「村山富市」の概要を参照ください。

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