村山自身の談話への考え
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:10 UTC 版)
オーラルヒストリー『村山富市の証言録』などの中で村山談話について「もともと日本国内には過去の戦争は正しかったのか過ちだったのか明確な統一見解が無かった。その中で過去の戦争を総括する政府見解として村山談話を出し戦後50年の節目に一応のけじめを付けることができた。中国、韓国、ASEANなどアジア全体が村山談話を評価し、後継の歴代内閣も踏襲していることで一つの国際的な定義になっている。村山談話に反対する人の中には、当時の世界情勢の中で日本だけが悪いとは言えないのではないか、日本の戦いは欧米の植民地支配からアジアを解放するためのものだった、日本が戦ったからアジア諸国は独立できたのではないか、良い面もあったとして戦争を正当化する意見もある。しかし戦争の拡大に反対する慎重論もあったが軍の暴走を阻止できず日本がアジアにおいて侵略、植民地支配を進めて行った事実に間違いはない。過去の歴史を直視して謙虚に認め反省しお詫びすることでアジア諸国との信頼関係を築いていくべき。中国などで日本には歴史的事実を認めない政治家もいると指摘されると、日本は思想、言論の自由が認められているので色々と言う人もいるが大多数の国民は村山談話を支持しているので安心してほしいと応えている」などと述べる。 また1995年8月15日の談話成立当時を振り返り「衆議院本会議で決議した『歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議』(1995年6月9日)には自民党内からも欠席者が続出したように自民党議員の中には本音の部分では侵略、植民地支配の認定に抵抗があったのではないか。しかし自民党は村山政権が成立する前は野党に転落して悲哀を舐めてきたので、ここで村山さんに辞められるのだけは困るというので談話に署名したのではないか。実際、閣議で官房副長官が談話を読み上げても閣僚はみんな黙って少し下をうつむいているだけで一言の発言もなく満場一致で決まった。この談話は村山と言う名前がついているが決して総理大臣個人の談話ではなく閣議で決めた談話である。全会一致の国会決議をすることは出来なかったが、そのために閣議決定して政府の方針として示すことになったので村山談話は逆に重い物になった。少なくとも僕の前で談話に抵抗した者はいない」などと述懐している。
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